Cityなわっしょい [japan]
先週土曜日、めったに行かない代官山に用事があって出かけました。
駅に到着したら街が夕景から夜景に代わるトワイライトな空気感。
お洒落な街に、昔ながらの日本の風景が音を立てて移動しています。
「わっしょい、わっしょい」
「わっしょい、わっしょい」
面白き風景。地元商店主が中心となって担いでいる神輿でしょう。
なんとなく垢ぬけた都会的な顔立ちの男女が、泥臭い空気をまとって
神輿を担ぐその姿。。。代官山もやはり、ここは日本ですね。
しかし同時に、UBUDでよく見てきた祭りの光景が蘇ります。
祭りに集う人々の心には、同じ匂いを感じます。祭りは、
単にエンタテイメントであるだけでなく、街の人々の繋がりを保ち
「絆」を強くしていくBALI社会のネットワーク基盤でもあります。
「故郷」への愛着を育くみ、心のよりどころとなり、街中で
人々が助け合ったり、声をかけあったりするコミュニティの姿が
祭りから生まれて、祭りに集結されていく。。。
日本も古来からそうだったんだなあ、とあらためて思い起こします。
東北の震災の時に即時活動した人たちも、祭りで繋がっていた人々だったと
遠野~釜石の旅路で地元ガイドさんから聞いたことも思い出します。
BALI人たちは、祭りを盛り上げるために生き働き、祭りに
全財産を捧げてしまうほど祭りを大切にします。
日本ではそこまで入れ込む人はないかもしれませんが、祭りの季節に
「わっしょい、わっしょい」神輿を担いで汗まみれになる時、
無意識の底におかれていた「日本人の魂」「日本人のつながり」に
ふつふつと目覚めるような感覚で満たされるのではないかしら。。。
私自身は「神輿を担ぐ」という機会に出会ったことがないので
(一応日本人ですけど)祭りをいつも見物するだけの外国人と同じですが
祭りを、こんな思いで観察するようになったのはBALIを知ってから
なのですよね。。。
Body マネジメント [challenge]
あっという間に9月です。この数カ月、日本全国猛暑で湯だっていましたね。
とは言いながら、この私は「熱中症」とも「夏バテ」とも無縁でした。
現在の仕事が内勤なのも幸いしていますが、リハビリ・トレーニングを始めて早4ヶ月、
絶望的に思われた重症肩こりも、かなり回復しています。
リハビリのつもりで始めたトレーニングが、次第に意味が変化してきました。
最近は、BODY マネジメント の面白さに目覚めてしまった感じです。
自分の体の隅から隅まで、どこがどうなっているかを把握することができれば、
重症化するまえに何処をどうケアすればよいか先手を打つことができます。
さらに言えば、思い通りに自分の肉体を作ることも夢ではないのだ、ということに気づいたんです。
(そうそう、簡単ではないですけどね)
目標としていた体重、体脂肪など、1年後と言われた数値を半年ほどでクリアできそうです。
肉体改造計画 [challenge]
久しぶりに帰ってきました。皆様ご無沙汰しております。
肩凝りが重症化してマッサージも全く効き目がなくなり
「ここまで来ると、治すのに数年はかかりますよ」
なんて言われた日には、愕然としました。
5月連休後からひたすら「リハビリ」に励んでおります。
全身ストレッチを30分、ウォーキングマシンで30分
その後筋トレ60分、水泳40分、ジャグジー10分
シャワー身支度であっという間に4時間のメニューです。
毎週毎週、黙々とこなしています。
2カ月経過し、ちょっと遊び心が出てきました。
他のプログラムに飛び入り参加もします。
ヨガ系、シェイプアップ系、ダンス系、いろいろあるけど
意外に気にいっているのが「格闘技系」です。
まさか!と思っていましたが私の気分(性格?)にはピッタリ。
今のところ無理しないようにトロトロ参加しています。
本当は瞬間瞬間ビシバシ!格好良く決めたいけど
それは当分先の話でしょうね。。。
そういえばウブドでヨガ教室に飛び入り参加したことがありました。
もとより運動家ではない上に、輪をかけて運動不足。
レッスンの常連さん達に全くついていけず、ヘタレ過ぎて
地元バリ人のヨガの先生に笑われてしまいましたね~。
当時のヘタレ、汚名返上に今更あがいているのでございます。
GW明けまして
GW前に蓄積された疲労は、おかげさまでかなりリセットされ
どうにか気持ちのよい朝を迎えることができました。
人生初のチャレンジは、スポーツ倶楽部に入会したことです。
お金を払って、他人に身体の動きを管理されるなんて。。。
・・・と思っていたけれど。お手上げでした。
「健康」「笑顔」「余裕」を取り戻して、再出発です。
春本番 [garden]
早咲きと春の嵐のせいで、今年ほど桜を愛でる機会を逸した年はありませんでした。
残念だったなあ、と思っているうちに、つつじの開花に出会うことが出来ました。
週末、午後のつつじです。西日に輝く様子をとらえました。
花の表情だけでなく、いろいろな樹木の若木の勢いに触れて元気が出ます。
白いつつじは、「白百合」にも似た凛とした姿を見せてくれました。
満開予報 [tokyo]
東京も桜が満開と報じられましたね。
例年より2週間も早い開花で、新入社員の入社も間に合わず
お花見の場所取りを、幹部クラスの企業シニアの方が陣取っている様子も…。
我が家の近所の桜は、七分咲き、八分咲き、場所によっては
五分咲きの木もありました。
毎年、満開になって桜見に出るのが常でしたが、今週末が見頃と聞き
出かけるついでに桜並木の川っぺりを歩いてみました。
満開になる前の桜の枝も良いものですね。蕾がたくさんついた枝の表情も
なかなか良いものです。
もしかして私は満開の桜より、開花直前の桜の方が好きかも。。。
(あいにく夕刻近くで、光が弱く写真は撮りませんでしたが)
黄砂PM,上陸 [trouble]
これはニュースでも紹介されていた映像。
映画「ハムナプトラ」を連想しました。
花粉、PM2.5と一緒になって、これが日本にも来るわけ???
呼吸器系が弱みの私にとっては、恐怖そのものです。
メガネな生活 [trouble]
気がついたら眼鏡だらけの生活です。写真は私の持っている眼鏡の一部。
これ以外にもまだあります。コンタクトは苦手だし、瞳の色素が薄くて光に弱いらしいし。
近距離用、PC用、ブルーライトカット用、花粉対策・UV対策メガネ・・・
別にコレクションをしているのではありませんよ。
必要に迫られて、しかも用途・機能がそれぞれなので。
時と場合によって、あれこれと付け替えるのです。
もう、煩わしいったらないのです。
私、本来は「オールイン・ワン」主義です。
あれもこれも一つで兼ね備えることが究極の希望なんです。
自由に距離を調整できて、あらゆる光線から目を守り、花粉・ウィルス防止機能も備え、
ファッション性も優れたメガネが発明されたら、数十万円でも手に入れたいと思うかも。
食べ歩き、のつもり。 [food]
Tokyo Walker に紹介されていたメニュー。
こんな料理を食べたい。けれど、ご近所ではなかなか見あたらない。
一見、自分で簡単に作れそうだけど、食材の仕入れ、スパイスの調合や調理法など
似ても似つかぬぬ仕上がりになるに決まっていますよね。
やはり、そのお店に出かけていってお金を使う価値があるってこと。
残るは「時間」の問題かなあ・・・。 いやいや食べたい一心で、時間はつくるものでした。
癒しのGREEN [nature]
都会の人間ジャングルに息が詰まる時、思い出しています。
ライステラス、ヤシの木、そしていろいろな植物の表情。
上の写真は、テガラランのライステラスを背景に浮き立つ
赤い葉の上の 「雨の滴」 にフォーカスしてみたものです。
シャガール展 [art]
先週末、チケットをいただいたのでシャガール展に行きました。
最終日になんとか駆け込み、間にあったというわけです。
シャガールは以前からとても好きな画家です。
でもその実、彼について詳しくは知りませんでした。
「なんて夢想的で、色彩豊かで、心和む絵なんだろう」・・・といつも見とれていただけ。
よく見かけた記憶に残る絵は、この有名な「エッフェル塔の新郎新婦(1939)」
解説本の中の印刷画の写真なので、色彩は実際のものとはかけ離れていますが。。。
今回駆けつけたシャガール展では、巨大な布地に描かれた作品群。
こんな大きなキャンバスに、いくつも描いたのかと思いきや、よく見ると
全く同じ絵柄の小さな版画が横に並んでいました。
「え??? パソコンもない時代に一体どうやって、こんなに正確に全く同じ絵を
拡大して描くことが出来たの?」 と、その布地に近づいて目を凝らしてみると
それは布地の上に描かれた絵ではなく、絵柄を編み込んだものであったのです。
「も、もしや?」 と思って布地の裏側を見ると、無数の結び目と糸の切れ端でふさふさしていました。
そこで初めて何の展示か気付きました。それは巨大な「タピスリー」だったのです。
生涯にわたって、そして今現在もシャガールの絵をタピスリーに起こしている
イヴェット・コキールというフランス女性の作品群でした。
彼女が生涯をかけて編み出した、気の遠くなるような絵柄と色彩の「記号化」によって、
タピスリーの制作が実現されたということでした。
記号化された下絵(いわば織物の設計図)も見ましたが、この仕事はパソコンには出来ない匠の技です。
全く同じ色彩を拡大しただけではシャガールの世界は再現できず、人の手により感性によって
あらたな色彩の解釈と変換をしなければ、その世界そのものを表現することができないのだそうです。
また、この展示をきっかけに私はシャガールの生涯についても垣間見ることとなりました。
ユダヤ人として生をうけたこと。貧しさに耐えながら描き続けた若き日があったこと。
世界大戦や革命の中で理想を追い求めたこと、失望を味わったこと。
自ら設立した芸術学校では、構成主義で教条的な画家たちとの対立と攻撃にあったこと。
生涯を支えた妻や子供たちの存在。 「愛」そして「希望」。
彼の絵に描かれた夢想的なイメージこそ「生きる」という現実であったことなど。
「幻想画家」の代表と評されながら、実は生々しい現実を心象として描いたものであったと・・・。
初めて私は「シャガールの世界」の入り口に立った気がしました。
そして、もっともっと彼のこと、彼の人生を知りたいと思うようになりました。
陽だまりが恋しい。 [life style]
気付けば年明けて、はやひと月が過ぎようとしています。
いろいろなことがあり過ぎてブログネタも尽きないほどなのに、なかなか戻って来れず。。。
寒波に襲われる日本、寒くて寒くてたまりません。南国生まれですし、もとより寒いのは苦手です。
Baliのまばゆい光と太陽が恋しくなってきました。
ドラマな正月 [drama]
それで何をしていたかというと、ドラマ漬けで、しかも時代劇な正月でした。
白虎隊を通しで観てしまったし、JINー「仁」総集編も観ちゃいました。
何で時代物にハマってしまうんでしょう。それは歴史という大きな時間の
視野の面白さと、何といっても「台詞」の面白さですね。
その素晴らしい台詞の数々、現実の生活や仕事でも使ってみたら面白い
だろうなと思うんですけど、残念ながらそれは現実的ではありません。
もし本当にそれを実行したら、きっと周囲はドッチラケになるはずです。
時代が違うのは当たり前として、「時代の気分」が違うというのかな。
風景に合わないというか、空気に合わない。KYみたいなことになりそう。
でも本心では、そんな言葉を求めている人たちが大勢いて、
それをドラマが代弁してくれるところがたまらないんでしょうかね。
平清盛も最終回までしっかり観ました。何故あれほど低視聴率だったのか、
それは台詞や構成などのクオリティを高くし過ぎたことだと分析
しているコメンテータがいましたけど全く同感です。
清盛の心の成長や葛藤が、毎回とても深くきましたね。
終盤から最終回までの家臣たちの言葉もぐっときました。
「お手前はもう、武士ではなくなっているのです」なんてね、生きる証
であったものが根底から否定され、いったい何処でどう踏み違えたのか
もがき苦しみ救いを求める清盛の姿も、悲しいほどに人間的でした。
時代の転換を求めてやまない世の中の強い要求も、現代と重なりますね。
松山ケンイチ、大したものです。あの若造がと言っては失礼ですけど
清盛入道という「老獪」になりきっていましたし。
そのほか脇を支える俳優たちの名演技もすごかったな〜。
現代の社会生活で、表層的なところで四苦八苦しているときに
心の奥深くに浸透してくる言葉の数々が、魂の栄養になってます。
今、東北の人々の魂の原点ともいう人間ドラマが再現されるのも
とても意味深いことだと思います。
白虎隊がいかにして生まれて、いかに育ち、いかにして散っていったか
「武士道」の中にみる日本人の心。私たち日本人にはこういうルーツが
あったんだ、という新鮮な発見をした思いもあります。
「八重の桜」にもハマってしまうのかと、既に観念しております。