ドラマな正月 [drama]
それで何をしていたかというと、ドラマ漬けで、しかも時代劇な正月でした。
白虎隊を通しで観てしまったし、JINー「仁」総集編も観ちゃいました。
何で時代物にハマってしまうんでしょう。それは歴史という大きな時間の
視野の面白さと、何といっても「台詞」の面白さですね。
その素晴らしい台詞の数々、現実の生活や仕事でも使ってみたら面白い
だろうなと思うんですけど、残念ながらそれは現実的ではありません。
もし本当にそれを実行したら、きっと周囲はドッチラケになるはずです。
時代が違うのは当たり前として、「時代の気分」が違うというのかな。
風景に合わないというか、空気に合わない。KYみたいなことになりそう。
でも本心では、そんな言葉を求めている人たちが大勢いて、
それをドラマが代弁してくれるところがたまらないんでしょうかね。
平清盛も最終回までしっかり観ました。何故あれほど低視聴率だったのか、
それは台詞や構成などのクオリティを高くし過ぎたことだと分析
しているコメンテータがいましたけど全く同感です。
清盛の心の成長や葛藤が、毎回とても深くきましたね。
終盤から最終回までの家臣たちの言葉もぐっときました。
「お手前はもう、武士ではなくなっているのです」なんてね、生きる証
であったものが根底から否定され、いったい何処でどう踏み違えたのか
もがき苦しみ救いを求める清盛の姿も、悲しいほどに人間的でした。
時代の転換を求めてやまない世の中の強い要求も、現代と重なりますね。
松山ケンイチ、大したものです。あの若造がと言っては失礼ですけど
清盛入道という「老獪」になりきっていましたし。
そのほか脇を支える俳優たちの名演技もすごかったな〜。
現代の社会生活で、表層的なところで四苦八苦しているときに
心の奥深くに浸透してくる言葉の数々が、魂の栄養になってます。
今、東北の人々の魂の原点ともいう人間ドラマが再現されるのも
とても意味深いことだと思います。
白虎隊がいかにして生まれて、いかに育ち、いかにして散っていったか
「武士道」の中にみる日本人の心。私たち日本人にはこういうルーツが
あったんだ、という新鮮な発見をした思いもあります。
「八重の桜」にもハマってしまうのかと、既に観念しております。
ご明察! [drama]
文庫本で読んでいた「天地明察」がなかなか面白くて
これは映画化されないかな~と思っていたところ、
「ロードショウ公開!」なんてお知らせがテレビに出てきたので、
あまりのタイミングでびっくりでした。
もともとコミックだったことも知らずに読んでいたので
若いファン層がいたことも、今頃になって知った次第。
ともあれ、公開日の翌日には映画館に足を運んだのでした。
本で読むのとは違って映画もなかなか良かったです。
かつて味わったTVドラマの「JIN」(これもコミックでしたが)
を見た時のような感動が再び湧いてきました。
本で読んだ方が歴史や人物、心象風景の描写も詳細で、これまた
映画では味わえない楽しみ方がありますけど。
(映画を見た後に本を読んでも、二重三重に楽しめます)
話は飛びますが、最近の日本アニメが世界中の若者に与えている
影響の大きさには本当に目を見張るものがありますよね。
フランスのJAPANアニメEXPOも凄かったけど
ブラジル? メキシコ? アルゼンチンだったかな?
アニメ声優と実際に会えたと言って「生まれて一番幸せ」と言って
涙する人もけっこういて、更にまた凄いものだと驚きました。
日本のアニメやコミックの魅力って、実に複雑で奥深い人間の姿や
等身大の若者の苦しみ、もがき、成長が描かれていることなんですね。
単純な勧善懲悪ものと違って、確かに、とてもヒューマンな世界観を感じます。
…なんか話が脱線してますが。(そんなことない?)
人の心が見失われる時代にあって、日本のアニメは今や
世界中の若者の心に「こころの苗」を植えるだけの力を持っている。
そこまで高い完成度を育て上げてきたのだという思いにいたりました。
天と地の間で、星の位置を観測し正しい暦を知ることが「ご明察」ならば
「人間」を描く日本アニメの観察眼と表現力もまた、「ご明察!」
なのではないでしょうか。
KIYOMORI 一考 [drama]
NHK大河ドラマ「平清盛」が不人気らしいですね。
そんな記事を何度かチラホラ読みました。
その理由は、歴史の大転換をホームドラマ仕立てにしたからだとか
いつも粉塵まみれる「きな臭い感じ?」を醸し出そうと、粉を撒いて汚らしい画面だとか
ところどころで「詩(うた)」が読まれて、意味が分からないとか・・・
まあ、いろいろあるようです。
しかし、それでも毎回必ず見逃さず見てしまうこの私、一体何が面白いのでしょう?
確かに解りにくいところはありますけど、そこは想像力を働かせたり、レキジョ(歴女)?
でもないのに拙い歴史の記憶を辿りながら、理解の断片をつなげていくのです。
そして、歴史作家・関裕二氏の言葉をそのままお借りすれば
『平氏や源氏は、天皇の末裔であるからこそ、藤原氏に邪魔にされ、地方に飛ばされ、
危険で穢れた仕事を与えられたのだ。けれども彼らは土地と結びついて「真の実力」を
手に入れた。武士が腐りきった貴族や官僚たちの社会を潰すことができるようになったのは、
貴族のいやがる仕事を黙々とこなした結果なのである。』
…というくだり。どうもこの辺りが「ツボ」な感じがするんです。意外に地味な解釈も面白く。
どうみても「不利な立場」に追いやられている武士たち。中でも平清盛がそれを逆手にとって
「どんでん返し」を起こしていく様が、いかにも面白いと思うのですよ。
「ああ、もう駄目だ。こんな局面、どうやって乗り越えたらいいかわからない!」
という数々の場面を突破していく清盛には、「奇想天外な発想」や「勝負強さ、心意気」
があって、毎回「そう来ましたか!」「そんな出方があったんだ!」…となるわけです。
今回、太宰府を手中に収めるための権力者・信西との駆引きがこれまた面白かったですね~。
(そりゃあ脚本だからね、作り話か勝手な解釈。本当の歴史じゃないかも)・・・なんて
そんなこと言わず、ドラマから汲み取ったものは、汲み取った人の栄養なんですから。
バロンダンス [drama]
キンタマーニ高原に出発するコースでは、まず朝一番に「バロンダンス」を観ます。
バロンは「善」の象徴で、「悪」と戦いますが、「勝負がつかない」というのが落ちで
結局人間は「善」と「悪」との共存する世界で生きていくしかない・・・のだそうで
でもそれは、「勧善懲悪」の夢物語よりも現実的で、深い真理のように思えてきます。
KIYOMORI [drama]
実は、平清盛、見ています。
時代劇が好き、というわけではないのですが、大河の時代を背景に
人の一生を描くドラマには、時間軸と心の広がりを感じるので、私にとっては
一つの「精神の解放」の時間になっている気がします。
清盛という人が「武家政治」の基礎を作った偉大な人物、しかも
織田信長や徳川家康にも匹敵するか、もしくはそれ以上の偉大な人物だ
という視点は全く知りませんでしたし、そういった解釈が、このドラマの
見ごたえを作っているのでしょう。
ドラマの始まりが、清盛の「出生の秘密」で、その秘密を知るのが7歳のときで、
その年齢で「武士が院の犬だと言うお前は、その武士に飼われている犬だ」
「犬死にしたくなければ強くなれ」だなんて、幼い少年にはあまりにも過酷な運命が
父親の口から言い渡される・・・
しかしそれは、清盛が抵抗した「武士という生き方」に突き進むための「動機」
のひとつとして強烈に、見る者の脳裏に突き刺さりました。
成長して元服した清盛に対し、朝廷が清盛の父親を通じて、清盛の忠誠心を
試すために北面の武士というポストを薦めてきたが、「朝廷の犬である武士」になることに
抵抗し続けた清盛は「強き犬として生きる」と吠えながら漁民や下賤の者たちと交流し
海賊と戦う。・・・しかしそれがもとで平家一門に不利な状況を作ったことで、清盛は自身の
浅知恵を突き付けられることになった。
追い詰められた清盛は、源氏の御曹司に「馬」で勝負を挑んだが、ここでも敗北する。
情けない自分の姿に泣き崩れる清盛。いまでいうなら「自己嫌悪」というやつです。
第3話のラストシーンで「次こそは負けない」だからもう一度勝負しろと叫ぶ清盛でした。
私の見方としては、その生き方が「武士」であろうが無かろうが、それは
どうでもよくて、一人の人間に課せられた運命なり宿命なりを、その人自身が
「どういう心理プロセスを経て受け入れていくのか」というところなんです。
人は誰しも「受け入れがたい自分自身」に突き当り、でも生きていく以上は
その自分と向き合わざるを得ないわけで、清盛にしても同じように
「いかにして自分自身になるか」という苦悩に直面しているわけですね。
ただの武勇伝ではないところが、なかなか、面白いのです。
越冬 [drama]
引っ越し準備が大詰めです。荷造りは折り返し地点を通過したところ。
残り半分を一気に終わらせたいところですが… ちょっと一息。日曜は休まないとね。
「越冬」だなんて、まだ冬本番はこれからですが。
「南極物語」の最終回にくぎ付けになりました。
(写真はドラマと関係ありません)
このドラマはいつも、つらくて見られない!と思いつつ見ていました。
動物の存在は、私にとっても人間と同じ、いえ時にはそれ以上と思えるくらいに
強い絆を感じる存在だからです。
南極で初の越冬を成功させた昭和基地の物語は、歴史的事実として、やむを得ず
犬達を置き去りにせざるを得なかったことや、断腸の思いで日本に帰国した越冬隊員達のこと
高度成長を目指して、もがいていた日本のことを知ることもできるわけですが…
それ以上に、ともに苦しみ、仲間を助け合い、あきらめずに生き抜いた犬達の姿に
たまらなく、たまらなく、せつない気持ちになります。
子供のころから、たくさんの動物たちに「いのち」のこと「生きること」について
そして動物たちが、いろいろな感情や思いを持っているということも
たくさん、たくさん、教わってきたことを思い出すのです。
女のだんじり [drama]
「勉強は進むばかり、10年は減るばかり」
これはパッチ屋で修行する糸子が、ミシンに触れるのは「10年先だ」と言われた時に
腹を決めて下働きに打ち込もうとする時の言葉です。(こういう発想、大好きです。)
その頑張りで糸子は、1年後にはミシンを踏むことができるようになり
そして不況の折、解雇されるまでの3年間、ミシンの腕を磨きあげます。
・・・平日に見られないドラマを「NHKオンデマンド」でまとめて見ました。
カーネーションにすっかりハマっています。
バリから日本に帰国する数日前に、この「NHK連続・朝ドラ」は始まっていました。
第1~3回を現地で見たとき、ドラマ挿入の音楽といい、椎名林檎の歌声といい、
ミシンをだんじりに見立て女性の人形達が踊る映像と言い、ものすごい思い入れの強い
力作だと感じました。
原作のコシノアヤコの人生そのものが、ドラマチックな脚本の素材なのでしょうが、それを
ドラマとして蘇らせた作り手の意気込み、自信というものがビンビンと伝わってきます。
「東日本大震災」を背景に、ドラマに込められる思いは一層強いものになったはずです。
誰もまだ「洋服」を着ている人がいない時代に、洋服の時代が来ることを予感し
デザイナーとしての未来の自分の姿を確信している主人公・糸子の強さ、明るさ、逞しさ。
何があってもめげないあのパワーは、「ぶれない未来の自己像」があるからですね。
自分は洋裁で生きる、デザイナーになる、という自己像をこころに描いているから
その信念は決して揺るがない。・・・ほんとうに、勇気をもらいます。
ともに生きたい [drama]
NNNドキュメント・スペシャル10月22日放送(これは日本テレビです)で
福島の金子二三夫カメラマンが追った被災地のその後
「在住カメラマンが見つめ続けた FUKUSHIMA」が紹介されていました。
「瓦礫を撮影する自分は空しかった。その自分を救ってくれたのは瓦礫のなかから出てきた
一匹の犬だった。。。」 (金子氏のことば)
犬猫みなしご救援隊の活動を追ったカメラは、被災地に取り残された動物たちの生き様を
見つめていきます。
(テレビ放映だから、視聴に耐えられる範囲の映像だとは思います。
過日、アルピニストの野口さんが伝えていた家畜ウシ・ブタなどの現状は惨すぎて
その記事を読んだ時、さすがに私も数日間うつうつしてしまった記憶があります。)
救援隊によって保護されたペット達は、獣医によって病気や怪我の治療を受けたり
離れ離れになった犬の親子が対面できたり、人間を知らずに生れて成長し野犬化しつつある
犬が人間の手に抱きしめられたり、何度も来てくれる救援隊の人達になついて追いかけて
きたり…犬の気持ち、猫の気持ちが伝わってくる映像ばかりでした。
そして、断腸の思いでペットや家畜を手放した人々の深い悲しみが読み取れました。
君の瞳に映る あらゆる色もひかりも
わかちあいたい ともに生きたい
・・・村上ゆき さんの歌の歌詞が、映像と相まって心に染みました。
動物たちも一生けんめい生きている。その姿に私たちも励まされます。(ですよね、金子さん)
「犬猫みなしご救援隊」の活動について、HPを訪問し、詳しく知ることもできました。
震災後、ずっと動物たちを保護し続けておられることに、心から感謝したいと思います。
JIN-JIN ! [drama]
私のお仲間にも結構 JIN-FAN が多いみたいです。
なので、最終回のことはやっぱり思いを共有したいなぁ、と思う次第であります。
思い切り「ネタばれ」ですから、楽しみにしている方は読まないでね。
Key-HoleTVという合法の無料インターネットTV経由で見たのですが、
さすがに最終回は世界中のファンが注目しているとあって、画面はいつにも増して大荒れ。
ここぞという重要なセリフのところで固まったり、タイムアウトしたり、そのたびに大騒ぎして
再起動しながら、まさに四苦八苦の視聴。それでも拡大版2時間ドラマをなんとか最後まで
見ることが出来たのであります。
見どころは、幕末の中で「死」を覚悟して仕事に励む南方仁、思いを寄せる野風と咲の切ない願い、
脳腫瘍と胎児の関係、タイムスリップ、歴史の修正力、坂本竜馬との絆、等々このドラマは
老若男女だれが見ても楽しめるフックがたくさん織り込まれていて本当に面白く出来てますよね。
で、私の個人的な感想なんですが、現代に戻った南方仁が脳腫瘍の手術から目覚めた後の
「ここはどこ?私は誰?」という感覚から真実を取り戻そうとするあたり、そして事実が
ひとつひとつ明かされていくあたりに、たまらなく痺れました。
タイムスリップや胎児腫瘍の謎解きもSF調で面白かったけど、それ以上に痺れたことは、
「自分はいったい何をしてきたのか? 本当は何もしなかったのと同じなのか?」
この疑問は、タイムスリップしなくても普通の人生の中で常に襲ってくる恐怖の疑問符です。
自分探しの旅に出て返って迷子になってしまった若者の悩みとも重なるし、自分自身が
歩んできた歴史にも重なります。
だから尚更、南方仁が関わった人々のその後の姿や、自分自身が生きた証を一つ一つ
見つけてはポロポロ涙する気持ちが、切なく切なく私の胸にも迫ってきました。
その歴史に「南方仁」の名前はなくとも、ともに生きた人たちが、ペニシリンの開発や
医療保険制度という形で厳然と証を残していたこと。そして何よりも圧巻だったのは
南方仁を慕い、未来に戻った時に必ず運命の女性に出会えるようにと、自分の命や将来と
引き換えにその女性の先祖を生み育て、そこに彼女たちの愛を託し時代を超えてつないで
いくという、野風と咲の、なんとも壮大な愛の物語でもありました。
ラストシーンにも、未来への暗示がたくさんありました。
恋人美紀との出会い、南方仁が自信を持って脳腫瘍の手術に向かう姿、また医師として
幕末の世を生きた気迫や、数え切れない限界に挑んできた腕前を、次の世に向けて
開花させるに違いないということ。
も~~~~。も~~~~~!!!
聞きとれなかったセリフや、途切れてしまった名場面の数々。
帰国したらゼッタイにDVDで視るんだ! セリフも覚えちゃうぞ!
っていうか、インドネシア語の勉強が先でしたね。 はい。(しょぼん)
生まれ変わったイケメン! [drama]
NHK仕事ハッケン伝、今夜は「狩野英孝 x テーマパーク(キッザニア)」でした。
これも私にとって必見の番組ですが、今夜の内容は際立って素晴らしかった!
ラーメン、イケメン…には全く興味がなかったし、正直期待はありませんでした。が…
彼はなんとも奥深く「組織で働くこと」は何ぞや?を、炙り出しくれましたね。
教育評論家のオネエ(?)尾木直樹が語っていたこと。働く姿とは、うまくやることじゃなくて
人や組織を前にして、悩み、苦しみながら成長していく、その姿そのものなんだ、と。
影絵師という職業を体験した子供たちが得た気づき。それにもまして、職業体験を企画・演出した
狩野英孝その人自身が、本人の「生まれて29年間で初めて」との弁の如く、彼自身の半生を
塗り替えるくらいに重みのある深い気付きを得たことが伝わってきた。その体験の中で、彼の顔つきは
既に生まれ変わった顔だった。なんともいえない良い表情。男を上げましたね、彼は。
狩野の指導係となった女性企画部長の涙も、本当によく理解できる。上司としてこれほど嬉しく
高揚する瞬間はないと言っても言い過ぎではないと思いました。
下流の宴 [drama]
NHKドラマ「下流の宴」を見ています。 面白いです。 今日の名ゼリフは…
「由美ちゃん、今日は会えてよかった。
君はあの時と全く変わっていないということがわかったよ。」
「え? どういう意味?」
「あのときの自分が蘇ったんだ。上から見下ろされた人間にしか分からない気持ちだよ。
君の、あのときの一言が俺を東大に行かせたんだ。」
そして、カリスマ受験の神様・島田氏は、少年時代の思い人である由美から依頼された息子の
面倒ではなく、由美の敵、息子の恋人(飲み屋の娘で下流の人間と決めつけている)からの
願いを受け入れ、受験指導をすることを決めた…。
恋人の母親から生まれも育ちも違うと見下されたフリーターの女の子が、自分のプライドを
かけて医大を受験する… なんて、突拍子もない展開!ではあるけれど、面白い展開です。
このドラマは、「バブル時代」に華やかな青春を生きていた母親が、「下流時代の日本」に
生まれ育った子供世代の価値観を理解できない「世代間ギャップ」を描いているだけでなく、
人間のプライドや、ブランド志向の滑稽さ、正社員・派遣の明暗、男性・女性の思考のあり様
いろいろなものを描いていて実に面白い。
日本に思いをはせる入り口でもあり、かつての職場の仲間たちが今この瞬間も
今日の日本社会のまっただ中で、就業支援に頑張っていることを思い出すドラマでもある。
きっと、東京の仲間たちが同じドラマを見ては次の日話題にしているに違いない。
JIN-「仁」、見おさめじゃあ! [drama]
JIN-「仁」 第5話。 今夜も泣かせるねえ。
南方先生は、鉛中毒に侵された天才役者・吉十郎の延命治療をすることになるんだが、最後の命を振り絞って自分の舞いを息子に見せようとする吉十郎。最後の舞台は華やかな衣装で役を演じ切るという、ドラマティックな演出になるかと思いきや、痛々しい病人の姿のまま化粧をし、楽屋裏の布団の上で舞いながら命果てるというリアリティー。
子役がまた、泣かせるんだこれが。 ほとんど口を利かない、父親を逆恨むような眼をして(・・・あんな子役に、こんな複雑な表情が表現できるなんて!)、最後の舞いを見るときの姿と言ったら、、、ここで泣かないなんて人間じゃありませんよ。
「命の価値ってのは、長さだけなんですか、先生」 (歌舞伎役者・田之介)
「命をどう長らえるかよりも、残された命をどう輝かせるかが大事なのだと・・・」 (南方仁)
何のために私はこの時代に送り込まれたんだ? 歴史の修正力に負けたくない、なんぞと悩み続ける南方仁に対して、ポツポツと自分の思いを語っていく咲も、これがまたいいこと言うんだ。~「先生、何故、延命では駄目なのでございますか? たとえ今死ぬはずの者に治療を施し、そのものが70まで生きたとしても、歴史に勝ったことにはならないのではございませぬか?」 ・・・という具合。
鉛中毒の治療法や薬もなかった時代に、不可能に挑み、薬効を実験によって探していくシーンなんぞも、ペニシリンの開発シーンを思い出させる面白い見せ場であった。
毎回毎回、セリフを暗記してしまいたいと思ってしまうこのドラマも、次回いよいよ坂本龍馬の歴史的事件と絡みながら進んでいくわけなんだが、「残念!」 これが見おさめなんですよ。バリ島では、NHKしか見られないんだーーー! わ~ん。