シャガール展 [art]
先週末、チケットをいただいたのでシャガール展に行きました。
最終日になんとか駆け込み、間にあったというわけです。
シャガールは以前からとても好きな画家です。
でもその実、彼について詳しくは知りませんでした。
「なんて夢想的で、色彩豊かで、心和む絵なんだろう」・・・といつも見とれていただけ。
よく見かけた記憶に残る絵は、この有名な「エッフェル塔の新郎新婦(1939)」
解説本の中の印刷画の写真なので、色彩は実際のものとはかけ離れていますが。。。
今回駆けつけたシャガール展では、巨大な布地に描かれた作品群。
こんな大きなキャンバスに、いくつも描いたのかと思いきや、よく見ると
全く同じ絵柄の小さな版画が横に並んでいました。
「え??? パソコンもない時代に一体どうやって、こんなに正確に全く同じ絵を
拡大して描くことが出来たの?」 と、その布地に近づいて目を凝らしてみると
それは布地の上に描かれた絵ではなく、絵柄を編み込んだものであったのです。
「も、もしや?」 と思って布地の裏側を見ると、無数の結び目と糸の切れ端でふさふさしていました。
そこで初めて何の展示か気付きました。それは巨大な「タピスリー」だったのです。
生涯にわたって、そして今現在もシャガールの絵をタピスリーに起こしている
イヴェット・コキールというフランス女性の作品群でした。
彼女が生涯をかけて編み出した、気の遠くなるような絵柄と色彩の「記号化」によって、
タピスリーの制作が実現されたということでした。
記号化された下絵(いわば織物の設計図)も見ましたが、この仕事はパソコンには出来ない匠の技です。
全く同じ色彩を拡大しただけではシャガールの世界は再現できず、人の手により感性によって
あらたな色彩の解釈と変換をしなければ、その世界そのものを表現することができないのだそうです。
また、この展示をきっかけに私はシャガールの生涯についても垣間見ることとなりました。
ユダヤ人として生をうけたこと。貧しさに耐えながら描き続けた若き日があったこと。
世界大戦や革命の中で理想を追い求めたこと、失望を味わったこと。
自ら設立した芸術学校では、構成主義で教条的な画家たちとの対立と攻撃にあったこと。
生涯を支えた妻や子供たちの存在。 「愛」そして「希望」。
彼の絵に描かれた夢想的なイメージこそ「生きる」という現実であったことなど。
「幻想画家」の代表と評されながら、実は生々しい現実を心象として描いたものであったと・・・。
初めて私は「シャガールの世界」の入り口に立った気がしました。
そして、もっともっと彼のこと、彼の人生を知りたいと思うようになりました。
ジャカルタ発、AKB48 [art]
ジャカルタ発、AKB48 ・・・まるで飛行機の便名のようですね。
「AKB48」というエンターテインメント・コンセプトを海外に輸出するという
ニュースをキャッチしました。しかも相手国はインドネシア!? ですって。
「ジャカルタ」のJをつけてJKB48・・・???
かの秋元氏はじめ関係者が審査員をつとめるオーディションが行なわれ、合否の結果に
とび跳ねたり、泣き崩れたりしているジャカルタの少女達の様子が映像に流れました。
直感的に思ったことは二つ。
どこの国であろうと若い人達の感性は共通なのかもしれないけれど、インドネシアの
踊りの感性、とくに伝統的なものにプライドを持っている人たちの眼にはどう映るのか?
そして、K-POPに対抗する意図があるらしいけど、国家的な戦略で徹底した
マーケティングのもとにプロデュースされているK-POPを超えることはできるの?
ということでした。・・・まあ、どちらも私の勝手な思いすごしかも知れませんが。
瞬間的にイメージしたのはバリ島の独特な舞踊の世界です。ジャカルタはバリ島ではなく
ジャワ島ですから、すこしバリとは感覚が違うかもしれません。
バリの女性たちは職業としてダンサーを目指す人でなくても、一般家庭の少女たちが
幼いうちからレゴンダンスなどバリ舞踊に親しみ、身につけているのを見たので
JKB、と言われても俄かに結びつかない感じがしたのですよ~。
この画像は、絵葉書の BALI DANCER の写真。(JKBとは無関係です)
日本人が全員、日本舞踊を踊れるわけではない。それと同じことで、それはそれ。
これはこれ。ということなんでしょうかね。
週末&手作りワールド [art]
帰国して3週間がたちました。仕事に復帰して3回目の週末です。
日本も世界も、この3週間でいろいろなことが起きていますね。
じっくり考えたり、このブログでいろんなことに触れてみたいと思いつつ
毎日が巡ってしまいます。
昨晩は知人のすすめで、池袋東急ハンズの「手作りフェア」にちょこっと
立ち寄ってみました。いろんなデザイナーがアクセサリーや雑貨など
オリジナル作品を展示・販売していました。
「手作り」の世界ってすごいです。こんなことあまり考えたことなかったけど
時間に追われる世界とは、真逆の世界に瞬時に引き込まれました。
手触り・色合い・風合いを感じ取って・・・Baliの暮らしに思いを馳せて。。。
PURI LUKISAN 3 [art]
1950年代以降の絵画は、西洋絵画の影響を受けた「ウブド・スタイル」のものが主役になっていきます。
その変遷を追っていくと、カマサン(ワヤン)スタイル、バトゥアン・スタイルの特徴を残しながら、かつ、
立体的な人物や動植物などが描かれるようになっていく様子がわかります。
1957年の作品で、カンバスにウオッシュ技術で描かれたもの。こちらはカマサン(ワヤン)スタイルで
「アルジュナの結婚」の物語から「悪魔の弱点を掴むために遣わされた美しい妖精」が描かれています。
妖精に託されたお役目には、恐ろしくも崇高な「緊張感」が伝わってきて、自己投影したくなったりして。。。
色彩のない原画(なのかな?)には、誤魔化しのきかない「アカペラ」のような響きを感じます。
下の写真「武器に捧げる祝いの日」は1975年の作品。ガイドブックにもよく紹介されている絵画です。
バリでは210日ごとに行われる武器の儀式があり、全ての鉄製の武器が寺院に奉納されますが、その時
家庭用品も一緒に祝福を受けるのです。この絵は見る者に、一度見ると忘れられない印象を与えます。
上の写真「面の踊り子」は1997年の作品で、先の絵画と同じくカンバスに描かれたアクリル画です。
本当にごく最近の絵画で、西洋絵画の影響と言われる「立体感」やなめらかな動きの表現には
「今風」な感じがあります。
「武器の祝い」も「面の踊り子」も背景に描かれたものは平面的で細密なモチーフの連続で、
西洋的な技法とともにバトゥアン・スタイルの特徴も残していることがうかがえますね。
最後にウォルター・シュピースの絵。周知の通り、バリ芸術の形成に大きな影響を与えたアーティストです。
彼がいなければ現代のバリの絵画も音楽も舞踊もなかったと言ってよいほど現代のバリ芸術に貢献した人物。
彼の作品と功績については、後日あらためて紙面を割きたいと思っているので、今回はチラ見だけです。
PURI LUKISAN 2 [art]
バトゥアン・スタイルは、画面いっぱいモチーフを埋め尽くす手法の絵画ですが、鬱蒼とした森林を
背景に人物や街の様子、もちろん動物たちなどもたっぷりと描かれているものが多い中で、私が個人的に
興味を持った絵がこれ。「タントリカマンダカ物語」から描かれた「ガンブーを踊る鳥たち」。
合板に「テンペラ画」で、鳥のモチーフだけを埋め尽くし、かつ鳥の一羽一羽が個性的に描かれ
あたかも人間社会の疑似表現のようですし、鳥たちは一体、何を話し合っているのかしらと想像を
めぐらしてしまう絵です。
PURI LUKISAN 1 [art]
今回の滞在中に行っておきたかった美術館のひとつ「プリ・ルキサン美術館」に足を運びました。
先日行ってきたNEKA美術館は1976年の設立で、比較的新しいですが、プリルキサン美術館は
1956年の設立で、NEKAより古く20年まえからある美術館です。
オランダ人画家ルドルフ・ボネと、ウブド王宮のチョコルダ・スカワティによって創設されたとのこと。
入り口の門構えは最近こしらえたものでしょうか。古い歴史的な門構えとはちょっと違いますね。
常設展示室が3棟あり、それぞれ1930年代以降~、1950年代以降~、彫刻と写真などに分かれ
バリ芸術の歴史的変遷を追っていくことができます。
古いと言っても20世紀のものですから、日本の紀元前からの古代美術のような歴史的遺産から見ると、
現存しているバリ島の文化遺産は、まだまだ新しいものばかりだと言えます。
NEKA美術館でカマサン・スタイル(別名ワヤン・スタイル)、ウブド・スタイル、バトゥアン・スタイル
の絵画に触れて来ましたが、同様の絵画を更にさかのぼり、かつバリエーションを知ることができます。
またその多くは、やはり「ラーマーヤナ物語」を題材としたモチーフが多いので、仏典の知恵を伝える
力を感じます。宗教性と精神性に溢れた絵画です。
色彩を施したものだけではなく、紙面にインクだけで描かれた繊細な絵画の前では、その場に足を止めて
しばらく見入っては、物語の展開やその教えについてイメージを膨らませると心が満たされていきます。
上の写真は、「ラーマとウィビサナとの出会い」の場面。下の写真は、「悪魔の息子からの求婚を断った
美しい女性スカスティ」の物語の場面が描かれています。
明日は、1950年代以降のものをご紹介します。
Jazz Night in Ubud [art]
バリに来て、初めての JAZZ LIVE を 聴きに行きました。・・・もとより東京では、
JAZZ のない人生なんて! … という感じでしたから、「初めて」は我ながら意外なんですが。
ウブドにはいくつかJAZZを聴ける店があります。けれども、ここ CAFE SILVER には
特別な思いがあるのです。先月、オーナーのカルスティン氏がバイク事故で亡くなってからというもの、
悲しみにくれる店内に足を運ぶのは、何かのきっかけでもなければ現実にはなりえなかったのです。
カルスティンとその友人たち。殆ど白人が中心ですが、長くウブドに住みついている仲間たちです。
私の母が、日本語しか話せないのにJAZZを聞きたくて出かけていって以来、言葉の壁を乗り越えて
仲良くしてくださって、母にはとてもよくしてくださってました。
たまたま日中、モンキーフォレストを歩いていたときに、その仲間とばったり。
「今夜、ライブがあるから久しぶりに来ないか?」と母が誘われ、私たちは便乗することに。
バリ人であるカルスティン氏の奥様が、喪に服して黒のワンピース姿でお店に出ておられました。
健気にも、控え目で優しい笑顔を来客たちに見せていました。 尚更、JAZZ が心に染みました。
アリー・スミット [art]
アリー・スミットはオランダ人、戦時中に陸軍の地理班で、リトグラフの制作者として
インドネシアに勤務し、その後バリに移住し美術を教えながら、実に多くの作品を残した人です。
NEKAの中に専用のパビリオンがあって作品群が収められていました。
当時、占領軍と同じオランダ人として、彼はバリについてどう思っていたのでしょうか。
・・・純粋に美しいものを描くことだけに夢中の人だったかもしれません。
在りし日のネカ氏&アリー・スミット。(当時の新聞に掲載されたものの展示より)
そして、色彩豊かに描かれた熱帯の自然の魅力。
この絵は片岡珠子の画風にも似ています。(上)
寒色の「青」が 熱帯ジャングルの涼しい夜を伝えています。
このあたりまででNEKA美術館の半分程度です。買い物帰りに立ち寄ったのでは
全ては見きれない数多くのコレクションでした。 後半はまた後日、ということで…。
ウブド&バトゥアン・スタイル [art]
「ウブド・スタイル」とは、1920年代以降の画風で、西洋絵画の影響を受けたものだそうです。
代表的なこの作品のなかで「彫刻の様に立体的に描かれている」顔に、特徴があらわれているとのこと。
顔以外の体や装飾品などの描き方は「平面的」で、バリの伝統的な概念で描かれている部分です。
逆に、同じバリでも西洋絵画の影響をあまり受けずに描かれたものが「細密画」とでもいいましょうか
画面いっぱいに細かいモチーフをぎっしり描き込んでいる絵画が「バトゥアン・スタイル」の絵画です。
手法は異なりますがどちらもバリらしい独特なアートとして旅人達の脳裏に焼きつきますね。
カマサン・スタイル [art]
NEKA美術館で最初に目にするのは、影絵芝居ワヤンの物語をモチーフとした
カマサン・スタイルの絵画。一目瞭然、ワヤンの操り人形をそのまま絵にしたものが下の写真。
ワヤンのモチーフは私も大好きで、小さな人形を母へのお土産に購入したり
またこのモチーフをあしらったクッションなど、ショウ・ウィンドウで見かけると
つい目を留めてしまいます。いつか気に入ったものを購入しようとひそかに企んでいます。
同じスタイルで描かれた「ガルーダと獣の戦い」、インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の
一場面を描いた作品も並んでいます。
「ガルーダ」・・・これはインドネシアの航空会社の名前として馴染みのある言葉ですが、
神話の中の神秘の生き物としてインパクトが強く、アートのモチーフとしても影絵ワヤンと同じように
魅力的なものです。絵画に限らず彫刻や木彫りでも、あちこちに見かけるモチーフです。
椰子の実と絵画 [art]
ゴアガジャの遺跡を見た後、最初のポイントに戻りました。
集会場があり、そこでは絵画の展示即売、そしてお菓子や椰子の実ジュースが売られています。
絵画展のうちの一枚に注目。バリの農村の朝の風景が描かれていました。
この地ならではの朝日の輝き、透明な空気、森の呼吸、風の感じが伝わってきます。
少年たちのジェゴグ [art]
ヌガラのもう一つの名物と言えば 「ジェゴグ」 の演奏。大きな竹筒によるガムラン演奏です。
一般に知られているガムランは繊細で複雑な音を奏でますが、ジェゴグは竹筒を割らんばかりに
叩いて音を鳴らします。勿論、強弱や音階もあり表現は力強くも豊かな音ですよ。
竹筒の大きさによって音階がわかれているので、重低音から高い音まで、音色があります。
古くから演奏されていた伝統芸能ですが、オランダ植民地時代には衰退してしまったそうです。
その伝統芸能が現代に復活したのは、最近20年ほどのことでしょうか?
今回、演奏してくれたのはヌガラの少年たち。イケメンというには、まだあどけないような
屈託のない笑みを返してくれました。
聞くところによると、ジェゴグは聞く人の内臓にも響き渡るような重低音と、トランス状態 に
陥るほどの音とリズムの力をもった スピリチュアルな演奏 らしいのです。
まあ、もとよりガムラン演奏もケチャにしても、バリ島の音楽はスピリチュアルな世界を
持っていると思いますが…
それだけの音色は、この少年たちが大人になって精神世界を深めるごとに奏でられる
ようになる??? …のかも知れません。
絵巻物に巻かれて・・・ [art]
近所の集会場で 「絵巻物・ワヤンべベルとパントマイム」 の公演があって、行ってみました。
バリ伝統芸能と言えば、影絵・ワヤンクリによる 「ラーマーヤナ」 についてご存知の方は
多いと思います。 「ラーマーヤナ」は本格的に演じると5時間くらいかかる膨大な物語だと
聞いたことがあります。
今回は、本当にご近所の小さな集会所で、1時間半の公演ですから、プリアタン王宮で開かれる
ような盛大な催しとは違い、子供に見せる人形劇? …くらいの軽い気持ちで参加しました。
ところが、ところが・・・ その芸術性と完成度の高さに、びっくり仰天です。
事前に日本語のあらすじ書きが配られたので、インドネシア語の分からない旅行者向けの
サービスだと思い、言葉の分からない芝居を見る心の準備を整えていました。
そうそう、歌舞伎を見る外国人みたいなものです。
で、耳に入ってきたのは、いきなり日本語の「語り」ではありませんか。「え?」と思う間もなく
どんどん物語は展開していきます。 10本あまりの絵巻物が開かれ、活劇の弁士?のごとく
…いや、いや、もっと高尚な表現に満ちた日本語、インドネシア語、身ぶり手ぶりが巧みに
織り込まれていて、どんどん語りの世界に引き込まれていき、1時間半、一気に瞬きもできない
くらいにのめりこんで聞き入ってしまったんです。
いや~、凄いものを見てしまいましたよ。
物語は、魔神の企みにより悪王と化したプルサダ王と、如来の生まれ変わりであるスタソーマ王との
対決。それによって明かされる生命と大自然の神秘。 中世ジャワの叙事詩「スタソーマ物語」 です。
この絵巻物は、実は影絵ワヤンクリや人形劇より古くからあり、その後、華やかなワヤンクリに
押されて影を潜めていが、バリ人芸術家の手による絵巻と、日本人バリ舞踊家・小谷野哲郎氏
によって再現されたもので、あのインドネシア語・日本語・語り・パントマイムを駆使した表現を
確立したのは唯一、小谷野哲郎氏ただ一人であるということを知りました。
何も知らずに観劇しただけで、小谷野氏の芸歴と研究の深さ、バリという土地に深く根を張った
生き様そのものが伝わり圧倒されたのですが、観劇後に小谷野氏のことを知り、更に世界が
広がりました。そして絵巻を描かれた画家夫人もまた日本女性で、この地に溶け込み、
文化的貢献の地道な活動を続けておられることへの尊敬の念で胸がいっぱいになりました。