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あの日から [japan]

しりあがり寿さんの「あの日からのマンガ」がNHKで紹介されました。
実はこの漫画について知ったのは、この放送を見たのが初めてです。

日本に帰国したら是非手に入れて、ゼッタイに読んでおきたいと思いました。
インタビューに答えていたしりあがり氏の言葉も印象的で、記憶に刻みたいと思います。

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「学者は数字を出す、政治家は政策を出す。
 漫画家には何ができるかと考えたら"空気"は描けると思った」

「正解であろうがなかろうが、いまの空気を伝えるしかない」

「あの日を境に、みんなが一斉に顔を上げて未来のことや世の中がどうなるのかを考えた。
 それまではみんな目の前のことしか考えていなかったのに、一斉に顔をあげて考えた。
 地震のことを考えないようになっても、一度上げた顔を再び下げてはいけない。」

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…自分の持ち場でできること、その自覚によって成される仕事の重みを感じました。
学者にも、政治家にもできないような仕事を、一人の漫画家がやり遂げていると思いました。

その仕事はまだ途上にあると思いますが、たどり着く新たな視界を感じさせます。

私も、頑張ろう。…と思いました。


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メモリー、試練の先に [japan]

9月11日、東日本大震災から半年が経過しました。そして10年前の同じ日…
9月11日、米国同時多発テロによる世界貿易センタービルの崩壊は、今なお生々しい記憶として蘇ります。


先日NHKの番組で、栃木県日光市で旅館アジアンガーデンを経営するバングラデッシュの男性が、
震災後多くの外国人が帰国するなか日本に残ることを決め、被災者の支援に取り組んできたドキュメンタリーが
放送されました。  (アジアン・ガーデン⇒ http://asiangardenjapan.com/ )

その決心は、災害のあった日の翌日のことだったと聞きます。まさに迷いのない「即断即決」です。
経営者のアクタール・ホーシェン氏は、祖国バングラデッシュが川の氾濫で被災した経験を語ります。
被災したときに、どの国よりも一番助けてくれたのは日本ですから」…その恩に報いたいと。

そして外国人スタッフばかりの旅館で、福島県から避難された「高齢者の介護支援」が始まったのです。
故郷から出たこともないような福島の高齢者たちが、避難先にたどり着いたら出迎えた人たちは外国人ばかり。
「それはもう、大変な事態になりました」

想像するにも余りありすぎて言葉もありません。。そしてホーシェン氏の決意と行動に深く胸を撃たれました。
被災した高齢者と、外国人スタッフによる支援の格闘の日々が続き、やがて被災者たちは心を開いていきます。
国籍も人種もこえて、人は人として支えあうことができるということの証明ともなりました。

このドキュメンタリーを見てたくさんの思いが溢れましたが、ひとつだけ触れておきたいと思います。
この巨大地震を「天が与えた人類への試練」だと考えると、もあまりに惨すぎる試練ではありますが
この体験によって今まで見たことも考えたこともないような 視野が広がることは、確かなる事実 である、と。

今はひたすら故郷に帰りたい、元の生活に戻れさえすれば、何もいらない。…それが正直な感情ですが
あまりに多くの尊い犠牲を無駄にしてはならないと考えると、元に戻るだけではなく新しい視野で
受け止めたことを一つずつ形にしていかなくては
、亡くなられた方々に申し訳ないと思えるのです。
それについて考え行動するのは、被災を免れた私たちに与えられた大きな宿題ですね。

バングラデッシュのホーシェン氏から学んだことを「非常事態の例外的な出来事」としてとらえるのではなく
これからの日本の日常の中に具体的な形で生かせるように、私も私なりに出来ることをやってみようと思います。

 

今日は重いテーマに触れましたが、もう一つ。アメリカでは「同時多発テロ事件」以来、
イスラム教徒に対する偏見」が横行し、新たな社会問題が生じていることを知りました。

http://www3.nhk.or.jp/news/tokusetsu2011/0909_02.html

工場で働くイスラム系アメリカ人の男性が「お前の兄弟だろう」といった非難中傷を受けるなど
相談が寄せられ多くの問題解決に追われるイスラム系弁護士や、専門家の言葉が紹介されていました。

「イスラム教は平和主義なんだ。それなのに、イスラム教徒=テロ集団という偏見だけが広まってしまった」

しかし「イスラム教=平和主義」であることを、私たちは一体何によって知ることができるでしょう?
メディアを介して伝わってくるのは恐ろしい情報ばかり。イスラムの本当の姿は「日常」のなかに
入り込まなければ知る由もないのです。

その意味で、「イスラムの国インドネシア」に今自分が暮らしていることにあらためて気付かされました。
これ以上は長くなってしまいますので、この件はまた後日触れたいと思います。


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ヒートアップ JAPAN [japan]

私の自宅がある東京も 38度 を超える高温を記録したと聞こえてきました。
連日、熱中症にかかる人が相次ぎ、昨日1日だけで全国で 700人 を超える人が搬送されたそうで、
この夏が落ち着くまでに一体何人の人が搬送されることになるんだろうと、本当に心配になります。

震災後の生活再建や放射線の問題はとても重たい課題ではあるけれど、仮にその問題を抜きにしても
今や日本は 「地球温暖化」 の影響下で、年々自然環境的に厳しくなることが目に見えています。

将来の日本は気候変動によってどう変化していくんだろうと気になりちょっと調べてみました。
環境問題の研究機関や官庁からも、調査研究レポートが出ていました。
私は研究者ではないので隅々読み込んだわけではありませんが、専門家の間では日本の将来に起こる
自然環境変化の影響については、ある程度予測を立てているようです。

ウブドの、とある屋台の軒先に飾ってあった「風ぐるま」を見つめながら考えたこと・・・。

      078. 風ぐるま.JPG

ど素人なりに見えてくることは、「四季」が「二季(夏冬だけで春秋がない)」になりつつある。

森林地帯の変化、マツ枯れ、ブナの減少。砂浜の喪失、浸水面積の拡大。コメ収穫の減少。
真夏日の増加、熱ストレスの(熱中症など)の増加、桜の開花の早期化、リンゴ栽培の不作。
農産物の品種が熱帯気候の品種に近づく。マンゴ‐、パパイヤ、バナナ等の栽培ができるなど。

日本は間違いなく 「熱帯気候化」 に向かっており、かつ夏冬の気温差が30度近いという過酷さ。
サマータイムの導入では間に合わず、シエスタ(お昼寝)の習慣を導入し、職場はアロハシャツ勤務、
近い将来、日本中で短パン・Tシャツ姿が当たり前の風景になるかもしれません。

お盆休みが3日間とか1週間とかではなく、8月は1カ月間 「日本全国夏休み」 にするぐらいの
ことをやってもよいのではないかと。・・・その期間は「稼ぐこと」から離れて 「生きること」
「自然について」「50年後100年後の未来について」考えたり、そういう時間も必要ですよね。

そんな リフレッシュ期間国家的な政策として実行し、お年寄り、子供たち、働き盛りの大人も
バリ島に来るなどして高温を避けて暮らしたら、とてもいい刺激にもなりそうなんだけど・・・。

バリ島は親日ですし、日本人がバリ島で消費することにはインドネシア政府も大歓迎ですよ。


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日本の8月、そして祈り。 [japan]

東日本大震災から間もなく5か月を迎える日本の8月。
がれきの撤去、仮設住宅の建設も進み、76,000人を超える避難者が全国各地に転居し
猛暑の連日に耐え、熱中症の危機にさらされながらも「節電」のために努力を惜しまず、
ヒロシマ、ナガサキの原爆投下の日を迎えて「原爆、原発、原子力、放射能」と向き合う日本。

多くの死者を弔い、死者の魂とともに生きる思い に溢れた青森ねぶた祭、秋田・竿燈まつり、
仙台の七夕祭り。東北のためにと戦って、ワールドカップに優勝を飾ったなでしこジャパン。
また連日の日本のTV番組からも、家族や地域社会の「絆」を見直す動きや、利益主導の社会
からの脱却を試みる活発な議論など目を離せない情報がたくさん伝わってきます。

遠くバリ島から見る日本に、音を立てて生まれ変わろうとする力強いメッセージを感じます。
日本の真只中、渦中の人に限らず世界もまた日本によって大きな衝撃と影響を受けています。


実は、バリ島にも大地震の歴史があったことを知りました。まだ現在のような観光の島に
なる前のオランダ統治の時代後半、統治政府がバリ島の伝統文化保護政策を打ち出したころ、
厄年続きのような時期があったとWIKIにも記されています。

1917年、バリ島南部大地震 発生。死者・負傷者はそれぞれ1000名を上回り、
1918年、世界的に流行したインフルエンザがバリにも波及。
1919年、南部バリでネズミが大量発生し穀物の収穫量が激減。

オランダ統治によって混乱の時代にあったバリ人達は、混乱の中で神々に対する儀礼を
おざなりにしていたことに対する神の怒りとして捉え、清浄化のための儀式や演劇活動が盛んに
行われた・・・とあります。

      075. 祈り.JPG

当時の活動は、伝統というより「一時的な動き」であったにもかかわらず、オランダが
「バリの伝統芸能」と理解し保護するようになり現在のバリ島文化に育った、ということです。
その復興の道のりは、 「バリのルネッサンス」とも呼ばれたようです。
どんな経緯であろうと当時のバリ人たちの「祈り」は叶い、結果的に今日の繁栄をもたらしました。

歴史というのは不思議なものですね。日本だってこの地震をきっかけにどう展開することか。
50年後、100年後の日本は現在と全く異なる価値観や社会システム、世界におけるポジション
を獲得しているかも知れません。

従前どおりの経済システムを復旧させるのではなく、自然と人間が共存できる世の中に。
「日本のルネッサンス」 となるよう、 「祈りをこめて」 日本を再構築したいものです。


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日本人学校、見学。 [japan]

月1回の買出しには、色々な用事をかませて行くので時計を見ながら走り回ります。
ひょんなことから、メンバーでもないのですがバリ日本人会の事務所を見学しました。
バリ在住の日本人の子供たちが通う学校になっていて、その中に事務所が併設されています。

バリには多くの日本人が長年暮らすだけでなく、地域に密着した様々の活動をしていたり
事業で成功して、その報酬を地域に還元し貢献している先輩方が大勢いらっしゃいます。

     054. 学校.JPG

日本人学校の土地も、校舎も、バリに嫁いだ日本女性の大先輩が寄贈されたものだそうです。
教室は小学校の各学年に1教室、机と椅子は5-6脚置かれていました。
少人数で、きっとアットホームな授業が行われているのでしょうね。

         054. Japan Club.JPG

日本人会の事務所では、エコ活動推進の「Clean up Bali !」の皆さんが打合せ中でした。
たまたま、エコ募金で集まった資金が届けられた報告会に居合わせました。
バリの協力企業、ホテルのエコ・ツーリズムでシーツの洗濯を省いて浮いた分の資金や
地元スーパーなどで置いているエコ募金箱(焼き物の壺)が届いていました。

募金の壺をその場で割って、コインの山をメンバー全員で数える様子は印象的でした。
普段、外から見ていたエコ活動で、多くの人が協力した小さな善意の積み上げが、確実に
活動現場に届けられているのをこの目で見ると、感動してしまいます。


決死の節電 [japan]

7月から日本では、企業も家庭も15%の節電に向けて具体的な実践が始まっているいことを
ニュースで拝見しています。土日に稼働するメーカーの工場従業員の方々、今まさにこの時間、
汗を流して働いていらっしゃることと思います。本当にお疲れ様です。

官庁や一般企業のオフィスでも、暗い照明の中でのお仕事、インドネシアの暗い照明と
勝負できるくらいのレベルで、本当に頭が下がります。

冷房を控えての教室の授業や、校庭での体育の授業で熱中症の生徒が続出したこと。
室内にいながら熱中症に襲われるリスクもものともせず、震災と原発事故後の復興のため
日本中が一つになって「決死の節電作戦」を強行していること。
そのことを、しっかりと脳裏に焼き付けている日々です。


方やバリ島は、例年になく朝晩が冷えると聞きました。日中は25~28度Cの範疇ですが
夜は本当に寒い。外気は20度以下になっているようです。
日本の過酷な環境から見れば、そんな、たいしたことないじゃん、という温度なんですけど。
亜熱帯地域で感じるこの温度は、体感が全く違うんですよ、不思議なことに。
日本人以上に寒がっているのが、現地のバリ人たち。あちこちに風邪っぴきの人がいます。

夫もついに風邪をひき、今日は寝込んでいます。夜が寒い、毛布が欲しい。
・・・だけど、毛布は売ってない。セーターも売ってない、のです。
見かねた在住邦人の先輩が、セーターを持ってきてくれました。
この寒さ対策、なんとかせねばと思案しているバリ島なのでした。


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