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日本の8月、そして祈り。 [japan]

東日本大震災から間もなく5か月を迎える日本の8月。
がれきの撤去、仮設住宅の建設も進み、76,000人を超える避難者が全国各地に転居し
猛暑の連日に耐え、熱中症の危機にさらされながらも「節電」のために努力を惜しまず、
ヒロシマ、ナガサキの原爆投下の日を迎えて「原爆、原発、原子力、放射能」と向き合う日本。

多くの死者を弔い、死者の魂とともに生きる思い に溢れた青森ねぶた祭、秋田・竿燈まつり、
仙台の七夕祭り。東北のためにと戦って、ワールドカップに優勝を飾ったなでしこジャパン。
また連日の日本のTV番組からも、家族や地域社会の「絆」を見直す動きや、利益主導の社会
からの脱却を試みる活発な議論など目を離せない情報がたくさん伝わってきます。

遠くバリ島から見る日本に、音を立てて生まれ変わろうとする力強いメッセージを感じます。
日本の真只中、渦中の人に限らず世界もまた日本によって大きな衝撃と影響を受けています。


実は、バリ島にも大地震の歴史があったことを知りました。まだ現在のような観光の島に
なる前のオランダ統治の時代後半、統治政府がバリ島の伝統文化保護政策を打ち出したころ、
厄年続きのような時期があったとWIKIにも記されています。

1917年、バリ島南部大地震 発生。死者・負傷者はそれぞれ1000名を上回り、
1918年、世界的に流行したインフルエンザがバリにも波及。
1919年、南部バリでネズミが大量発生し穀物の収穫量が激減。

オランダ統治によって混乱の時代にあったバリ人達は、混乱の中で神々に対する儀礼を
おざなりにしていたことに対する神の怒りとして捉え、清浄化のための儀式や演劇活動が盛んに
行われた・・・とあります。

      075. 祈り.JPG

当時の活動は、伝統というより「一時的な動き」であったにもかかわらず、オランダが
「バリの伝統芸能」と理解し保護するようになり現在のバリ島文化に育った、ということです。
その復興の道のりは、 「バリのルネッサンス」とも呼ばれたようです。
どんな経緯であろうと当時のバリ人たちの「祈り」は叶い、結果的に今日の繁栄をもたらしました。

歴史というのは不思議なものですね。日本だってこの地震をきっかけにどう展開することか。
50年後、100年後の日本は現在と全く異なる価値観や社会システム、世界におけるポジション
を獲得しているかも知れません。

従前どおりの経済システムを復旧させるのではなく、自然と人間が共存できる世の中に。
「日本のルネッサンス」 となるよう、 「祈りをこめて」 日本を再構築したいものです。


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