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メモリー、試練の先に [japan]

9月11日、東日本大震災から半年が経過しました。そして10年前の同じ日…
9月11日、米国同時多発テロによる世界貿易センタービルの崩壊は、今なお生々しい記憶として蘇ります。


先日NHKの番組で、栃木県日光市で旅館アジアンガーデンを経営するバングラデッシュの男性が、
震災後多くの外国人が帰国するなか日本に残ることを決め、被災者の支援に取り組んできたドキュメンタリーが
放送されました。  (アジアン・ガーデン⇒ http://asiangardenjapan.com/ )

その決心は、災害のあった日の翌日のことだったと聞きます。まさに迷いのない「即断即決」です。
経営者のアクタール・ホーシェン氏は、祖国バングラデッシュが川の氾濫で被災した経験を語ります。
被災したときに、どの国よりも一番助けてくれたのは日本ですから」…その恩に報いたいと。

そして外国人スタッフばかりの旅館で、福島県から避難された「高齢者の介護支援」が始まったのです。
故郷から出たこともないような福島の高齢者たちが、避難先にたどり着いたら出迎えた人たちは外国人ばかり。
「それはもう、大変な事態になりました」

想像するにも余りありすぎて言葉もありません。。そしてホーシェン氏の決意と行動に深く胸を撃たれました。
被災した高齢者と、外国人スタッフによる支援の格闘の日々が続き、やがて被災者たちは心を開いていきます。
国籍も人種もこえて、人は人として支えあうことができるということの証明ともなりました。

このドキュメンタリーを見てたくさんの思いが溢れましたが、ひとつだけ触れておきたいと思います。
この巨大地震を「天が与えた人類への試練」だと考えると、もあまりに惨すぎる試練ではありますが
この体験によって今まで見たことも考えたこともないような 視野が広がることは、確かなる事実 である、と。

今はひたすら故郷に帰りたい、元の生活に戻れさえすれば、何もいらない。…それが正直な感情ですが
あまりに多くの尊い犠牲を無駄にしてはならないと考えると、元に戻るだけではなく新しい視野で
受け止めたことを一つずつ形にしていかなくては
、亡くなられた方々に申し訳ないと思えるのです。
それについて考え行動するのは、被災を免れた私たちに与えられた大きな宿題ですね。

バングラデッシュのホーシェン氏から学んだことを「非常事態の例外的な出来事」としてとらえるのではなく
これからの日本の日常の中に具体的な形で生かせるように、私も私なりに出来ることをやってみようと思います。

 

今日は重いテーマに触れましたが、もう一つ。アメリカでは「同時多発テロ事件」以来、
イスラム教徒に対する偏見」が横行し、新たな社会問題が生じていることを知りました。

http://www3.nhk.or.jp/news/tokusetsu2011/0909_02.html

工場で働くイスラム系アメリカ人の男性が「お前の兄弟だろう」といった非難中傷を受けるなど
相談が寄せられ多くの問題解決に追われるイスラム系弁護士や、専門家の言葉が紹介されていました。

「イスラム教は平和主義なんだ。それなのに、イスラム教徒=テロ集団という偏見だけが広まってしまった」

しかし「イスラム教=平和主義」であることを、私たちは一体何によって知ることができるでしょう?
メディアを介して伝わってくるのは恐ろしい情報ばかり。イスラムの本当の姿は「日常」のなかに
入り込まなければ知る由もないのです。

その意味で、「イスラムの国インドネシア」に今自分が暮らしていることにあらためて気付かされました。
これ以上は長くなってしまいますので、この件はまた後日触れたいと思います。


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