SSブログ

トップレス、無防備の時代。 [history]

欧米人がバリ島に注目した初期の頃、バリ人はまだ 「原住民」 と呼ぶべき様相でした。
女性たちがトップレスで生活している 「トロピカルでパラダイスな世界だ」 と評した殿方どもの
言葉が、どこかの文献にあったのが記憶にあります。 本当にそんな時代があったの?と思いました。

しかもそれは 「灼熱のアフリカ」 でも 「太古の昔」 でもなく20世紀のごくごく最近の話なのです。

先日、買い物ついでに NEKA美術館 に立ち寄った時、その証拠物件を目撃しました。
この美術館は一教員であったネカ氏の 「個人的なコレクション」 が、インドネシアの文化財産として
のちに公認されたもので、コレクションの内容は 近代~現代 のものが中心となっています。

殆どが絵画中心のコレクションですが、館内のほんの一部に写真展示室がありました。
アメリカ人 ロバート・コーク (Robert Koke) によるモノクロ写真で1930~40年代のものです。
トップレス、それは男性の天国という軽薄なものではなく 「無防備な文化」 を感じさせます。

              103. Top less.JPG

 103. Keca.JPG  103. Dance.JPG

     そして迫力があります。ケチャや踊りの様子に至っては躍動的なリズム感に圧倒されますね。
     バリの原点が、太古の昔から現代に及んで息づいていることを実感します。

                (写真撮影が許されている美術館の寛容に感謝)

同時に、知識・外交といった文明によって武装した民族が諸外国からの圧力を跳ね返すのとは真逆で、
芸能に興じているバリに、諸外国はつけいる隙を狙っていたんだろうな~と、占領の歴史 を思うのです。
バリ人達が外交テクニックよりも、あくまで民族の誇りと芸能をもって、ププタン による決死の抵抗
をして現在のバリを勝ち取ったことは、前述の記事で触れたとおりです。

            http://bbj.blog.so-net.ne.jp/archive/20110815

たまたま先日TVドラマ 「テンペスト」 で、ペリーの琉球来航の際、列強との衝突を避けつつ琉球王国の
主張を通すために、天才官僚の宦官・孫寧温が琉球舞踊でペリーをもてなし、「侵してはならない聖域
たる琉球の美と伝統を示しながら本音の交渉をして国難を乗り切る場面があり、またしてもバリと重なり
ました。 (この話は史実に基づき脚色されたフィクションかも知れませんが)
ソフト・パワーの戦い方」 かくありき、ということでしょうかね。

・・・ 僅か半世紀あまりの間に変貌の歴史を遂げたバリ。

何を失い何を得たのか、その秘密はまだまだ奥深く私を誘います。


nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ヒンドゥーの神々 [history]

ヒンドゥー教の神々についてもっと知りたい、調べてみようと思いましたが以下の通り。
あまりにたくさんいるので、探究心が萎えてしまいました。 まあ、一度に覚えようというのではなく、折々に。

…何かにからめて覚えないと記憶できませんね、これ。


     アグニ、アシュヴィン双神、アルダーナリシュヴァラ、インドラ

     ウシャス、ヴァーユ、ヴァイローチャナ、ヴァス神群、ヴァルナ、ヴィシュヌ (維持)

     カーラネミ、カーリー、ガネーシュ、カーマ、ガンガー、クベーラ

     サヴィトリ、サティー、サラスヴァティー、シヴァ(破壊神)、スカンダ、スーリヤ、ソーマ

     ダーキニー(荼枳尼天)、ディヤウス、ヴィシュヴェーデーヴァ神群、ドゥルガー

     ナンディン、ハヌマーン、パールヴァティー、ハリハラ、パルジャニヤ、

     プーシャン、ブラフマー(梵天)、プリティヴィー、

     ラクシュミ、ラートリー、ローカパーラ、ルドラ神群、ヤマ(閻魔)


シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマー、ガネーシュ …については周知の通り。それ以外では

ハヌマーン:     もしかして「ハヌマン通り」の名前の由来? 「孫悟空」の由来でもあるそう。
サラスヴァーティ: もしかして、サラスワティ大学の名前の由来?
ソーマ:        もしかして「スタソーマ物語」のソーマ?
ルドラ神:       もしかして、いや、しなくても「スタソーマ物語」に出ていた!

…という、入門者レベルの理解の程を披歴してもなんですが。。。 自身の備忘録です。 はい。


nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ガネーシャ [history]

ゴアガジャとは「像の洞窟」。11世紀頃の遺跡で、マジャパイト王朝以前のものだそうです。
バリ島には像はいないのに「像の洞窟」。これも謎だそうですが、インド由来なのでしょうか。

その時代は、ヒンドゥー以前のアニミズム信仰と、インド仏教の影響が混在した状態だったのかも。
ヒンドゥーが形をなしていったのは、ヒンドゥーによって栄えたマジャパイト王朝以降ですから
洞窟そのものと、その名称、中に祭られている神々との間には、時代の変遷があるのかもしれません。

      097. GoaGaja-7.JPG

洞窟の中に入ると、左側に「ガネーシャ」、右側に3つのリンガ像(男根…何故?)が祭られており、
この3体はヒンズー教の3大神シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマを表すとのこと。
ちょうど私が洞窟の中に入った時、バリ人がお供えと祈りをガネーシャに捧げていました。

      098. linga.JPG

      098. ganesha-1.jpg

「ガネーシャ」と聞くと、TVドラマ化された「夢をかなえる像」に出てきた古田新太が演じた
ガネーシャを思い出してしまって、サラリーマンが自己啓発の啓示をガネーシャから受けて成長していく
…なんていう、どうも漫画チックというか、コメディなイメージが湧いてしまいますが…(笑)

顔が像で人間の姿をしている神。シヴァ神の子供で、富と繁栄、智恵と学問を司るとWIKIにあります。
ガネーシャの石像や絵画などは現在のバリ島でも、あちこちでよく見かける人気の高い神様のようです。
下の絵は、ご近所のヨガ道場に飾られていたガネーシャ。

          098. ganesha-2.JPG

ゴアガジャに来て、いろいろ興味がわき調べてみました。まずはヒンドゥーの3大神のこと。
シヴァ(破壊)、ヴィシュヌ(維持)、ブラフマ(創造)。…シヴァはブラフマの子(らしい)。
ガネーシャはシヴァの子(長男)、リンガ崇拝は豊穣祈願のため、古くから信仰の対象であった。
また、生命誕生の根源として崇拝された、とのこと。

ヒンドゥー神話の世界に、ちょっと片足つっこんでしまいました。これは物語の始まりです。


nice!(5)  コメント(4)  トラックバック(1) 
共通テーマ:旅行

ゴア・ガジャ [history]

勉強や試験から解放されて、見たかったものを見に出かけました。まずは近場から攻略です。

          097. GoaGaja-1.JPG

ゴアガジャの遺跡は、ウブドから東方向に車を走らせ10分。道路右手に入口が見えてきます。

          097. GoaGaja-2.JPG

広い駐車場を抜けると小ぶりの土産物店が並び、その先に入場窓口。入場料は150円(2年前の2倍!)

 097. GoaGaja-3.JPG 097. GoaGaja-4.JPG

   深い谷間に「境内」のようなもの、そして大きな御神木?が見えてきます。

          097. GoaGaja-5.JPG

          下に降りて行くと、左手に墓石?のようなものが。。。

          097. GoaGaja-6.JPG

          その奥に、「洞窟」の入り口が見えます。 この続きは明日・・・


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ププタン 滅びと再生の美学 [history]

1945年8月15日、終戦。この歴史と並ぶインドネシアの歴史を見ると、
「ププタン」 と呼ばれる古来からのバリの風習について、語らないわけにはいかなくなります。

「ププタン」とは戦闘において敗北する時に、 美しく着飾り 「死の行進」 をして最期を遂げる殉死
であり集団自決のことなんですが、バリ語で「終焉」を意味し、「滅びの美学」でもあるとのことです。

史実を見ると、19世紀オランダの支配に抵抗し、当時いくつかの小王国で成り立っていたバリにおいて、
パドゥン王国 クルンクン王国 が「ププタン」によって4千人もの死者とともに滅亡しました。
その壮絶な王族の終焉を見た当時のオランダ軍は、国際的にも非難を浴びることとなり、一説には
バリ島の植民地支配を「伝統文化保護政策」に切り替えることで非難をかわそうとしたとあります。

      081. 神々.JPG

今日のバリ島伝統芸能の発展は、このププタンの恩恵、功徳、恐怖の後遺症、によるものだと
表現された文献が、あちこちに散見されます。
「ププタン」はまた、第二次世界大戦後のインドネシア独立戦争の際に、やはりオランダ軍と熾烈な
戦いの末、全員が玉砕したインドネシアの部隊のことも指し、 「独立」のシンボル にもなっています。
(インドネシアは終戦の二日後、1945年8月17日に独立宣言をしました)。

 このププタンの史実は私の勝手な連想で、ちょっと(かなり?)飛躍した展開ですけど、
日本でいえば 沖縄戦の「玉砕」 を思い起こさせます。
米軍による沖縄上陸、占領、そして戦後の本土復帰。戦争に翻弄され、沖縄返還後も日本であって
日本でないという 文化的なジレンマ を背負いながら、琉球文化は一時力を失ったように見えますが
時とともにその輝きは息を吹き返しました。日本の本土にはない独特の文化は、やがて日本の誇り
として光を放ち、文化芸能に限らず多くの「人材」をも輩出、とくに芸術分野で存在感を増していきます。

琉球、沖縄の「海と自然」「スピリチュアルな感性」「温かみのある風土」によって育まれた人々は、
本土にはない豊かな表情と表現力を持ち、多くの人々を魅了します。最近の映画やドラマで活躍する
売れっ子の女優、タレント達は沖縄出身者がその9割を占め、ビジュアルに「沖縄女性の顔」が
「日本女性の顔」を代表する位置にまで昇り詰めていることに驚愕します。


ププタン後のバリ伝統芸能の発展、沖縄戦、沖縄返還後の琉球沖縄伝統芸能の発展。
両者は、単に商業的な企みのものとで得られた成果のなのではなく、多分に精神の深さ、民族の誇り
といった、強い信念がなければ絶対に表現しえないものとして目の前に迫ってきます。

ププタンと沖縄戦、この二つは私の頭の中では、どうしてもイメージが繋がってしまうのです。


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:旅行

マジャパイト秘話 [history]

バリ島暮らし大ベテランの友人が遊びに来てくれました。
私たちの「新入りバリ生活」が2カ月経過して、気になっていることをアレコレ話題にしていると
昼過ぎから気づけば夜の9時。半日以上、語り合っていたことになります。

バリ島の歴史、 バリ人の起源、 ルーツ について話題が及んだ時、その神秘で魅力的な
謎解きの虜になっている私たちでした。この分野の研究家はかなり多いし、一度足を踏み入れたら
深みにはまってしまうのは想像がつきます。

まずはその歴史を抑えたいところですが、単純に年表にまとめて眺めるというわけにはいかず
理解するには少々の時間と勉強を積み上げる必要がありそうです。

      058. ヒンドゥーの家.JPG

取り急ぎ入門編的に、ざっくりと乱暴に概観に触れてみると、こんな感じでしょうか。

1.人類起源は 「ジャワ原人」
2.文明の起源は 「インド文化圏」 の影響下にあった。
3.7世紀頃までは、いくつかの遺跡や古代王国の跡が見られるが史実として明確ではない。

4.8世紀頃から 「ジャワ史」 が残され、仏教信仰のジャワ王朝が何代か続いた。
5. ヒンドゥーの進出 によって中部ジャワが統合され、東部ジャワ、スマトラ島、バリ島にも拡大。

6.10世紀頃、ジャワ王国 の一部としてバリ島も組み込まれる。
  (このころ、バリ島の土着のアニミズム信仰とヒンドゥーが融合していく)

7.12世紀、 「マハーバーラタ」 のジャワ語訳がジャワ文化の基盤となる。
8.ジャワ王国代々王朝の覇権争いの後、「マジャパイト王朝」 出現により法典、文学、芸術が整備される。
  (この時代にガムラン、ワヤンなどの芸術の基礎が築かれた)

9.15~16世紀、ジャワ島のイスラム教への改宗 により、ヒンドゥー崇拝のマジャパイト王朝の
  末裔はバリに落ち延び 「ゲルゲル王国」 を建国。ヒンドゥー文化はバリ島で温存されバリ島独自の
  文化として開花していく。


その後、オランダの支配日本軍の占領 という経験を経て現代へ続く、と・・・。

本当に乱暴なまとめ方ですが、こうしてみるだけでも、次に知りたくなるのが 「マジャパイト王朝」
ことなんですよ。友人に、マジャパイト遺跡の博物館とかあるのか聞いてみたら
そんなものはない、というではありませんか。そのためには遺跡の発掘からやらないといけないそうで。

ありゃま。 まだ発掘されていないの??? ・・・続きはまた後日。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。