ププタン 滅びと再生の美学 [history]
1945年8月15日、終戦。この歴史と並ぶインドネシアの歴史を見ると、
「ププタン」 と呼ばれる古来からのバリの風習について、語らないわけにはいかなくなります。
「ププタン」とは戦闘において敗北する時に、 美しく着飾り 「死の行進」 をして最期を遂げる殉死
であり集団自決のことなんですが、バリ語で「終焉」を意味し、「滅びの美学」でもあるとのことです。
史実を見ると、19世紀オランダの支配に抵抗し、当時いくつかの小王国で成り立っていたバリにおいて、
パドゥン王国 と クルンクン王国 が「ププタン」によって4千人もの死者とともに滅亡しました。
その壮絶な王族の終焉を見た当時のオランダ軍は、国際的にも非難を浴びることとなり、一説には
バリ島の植民地支配を「伝統文化保護政策」に切り替えることで非難をかわそうとしたとあります。
今日のバリ島伝統芸能の発展は、このププタンの恩恵、功徳、恐怖の後遺症、によるものだと
表現された文献が、あちこちに散見されます。
「ププタン」はまた、第二次世界大戦後のインドネシア独立戦争の際に、やはりオランダ軍と熾烈な
戦いの末、全員が玉砕したインドネシアの部隊のことも指し、 「独立」のシンボル にもなっています。
(インドネシアは終戦の二日後、1945年8月17日に独立宣言をしました)。
このププタンの史実は私の勝手な連想で、ちょっと(かなり?)飛躍した展開ですけど、
日本でいえば 沖縄戦の「玉砕」 を思い起こさせます。
米軍による沖縄上陸、占領、そして戦後の本土復帰。戦争に翻弄され、沖縄返還後も日本であって
日本でないという 文化的なジレンマ を背負いながら、琉球文化は一時力を失ったように見えますが
時とともにその輝きは息を吹き返しました。日本の本土にはない独特の文化は、やがて日本の誇り
として光を放ち、文化芸能に限らず多くの「人材」をも輩出、とくに芸術分野で存在感を増していきます。
琉球、沖縄の「海と自然」「スピリチュアルな感性」「温かみのある風土」によって育まれた人々は、
本土にはない豊かな表情と表現力を持ち、多くの人々を魅了します。最近の映画やドラマで活躍する
売れっ子の女優、タレント達は沖縄出身者がその9割を占め、ビジュアルに「沖縄女性の顔」が
「日本女性の顔」を代表する位置にまで昇り詰めていることに驚愕します。
ププタン後のバリ伝統芸能の発展、沖縄戦、沖縄返還後の琉球沖縄伝統芸能の発展。
両者は、単に商業的な企みのものとで得られた成果のなのではなく、多分に精神の深さ、民族の誇り
といった、強い信念がなければ絶対に表現しえないものとして目の前に迫ってきます。
ププタンと沖縄戦、この二つは私の頭の中では、どうしてもイメージが繋がってしまうのです。
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