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祈り、そして誓い [japan]

3.10-11、この日は全ての時間を被災地のために捧げようと決めていました。
どこに行くわけでもないのですが、その地に思いを馳せ、その地の発信に意識を集中し
その未来を考え抜くという時間を持ちました。

震災後一年たって尚、被災者の方々の生活はまさに「時」が止まったままであること。
心が止まってしまっただけでなく、全半壊した街や瓦礫の山もそのままの姿であること。
津波の直撃を受けた沿岸の漁業を営む人たち。家畜の処分を迫られた酪農家の人たち。
未だに仮設に暮らし仕事に復帰する兆しも見えないなか、精一杯の笑顔をみせる人々。

個人個人にいくら強い再生と復興の意思があっても、国の方針が出ないことで
一歩も先に進めないという現実を見せつけられました。
想定外の出来事に、対応できる技術も政策も追いつかないということは差し引いても
「政局に明け暮れる政治家達には、政治を動かせない」ということも。


かたや被災者みずから街の復興をデザインしたスケッチの素晴らしさ。
瓦礫の再利用や、自然の再生力を生かしたアイデアの斬新さには目を奪われました。
無名の人々の発案でも、こういう知恵こそ取り上げて実現すべきなのに、国の現行法規制
が足かせとなり、無数の提案がむげに葬られてしまうのは残念無念の極みです。


復興と未来設計については国内だけでなく、諸外国においても様々な動きがあることを
知りました。特にドイツのメルケル首相が決断した「脱原発」については感服しました。
その決断の判断基準が「子孫に核のゴミを押し付けるのは倫理に反する」であったことです。
対する日本の政治判断の中には「倫理」という言葉が全く出てこないことに気づきました。
「損得」が基準でしかない、ということについてもっと問題視すべきと思いました。

また、ドイツの決断には「倫理」という視点だけでなく背景に「地方分権」による
長年の現実的な取り組みがあったことが大きな要因だそうです。
国の指示を仰がなければ何もできないシステムではどうにもなりません。
その地域のことは誰よりも、その地域に暮らす人たちが一番よく知っているわけですから
自ら地域社会のあり方を選択し決定できるようになれば、もっと劇的に事が運ぶのでは
ないかと思いました。


今も遺族の亡骸に会えず、生き残ったことに罪悪感さえ抱いてしまう方々や
復興とか未来という言葉さえ遠い響きでしかない人々もたくさんいらっしゃる中、
考えれば考えるほど重く困難な課題で、とても纏まりません。

一生かけて背負って、考え続けて、自分にできることをやっていこう、と
そう思うのが精いっぱいの一日でした。


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めい

遠く離れていても私たちは決して被災者の悲しみを
忘れてはいけないと改めて感じた今日でした。
彼らのために何かできることがあるはずです。


by めい (2012-03-11 23:55) 

elzawild

めいさん、こんばんは。
そうですね。出来ることを一つづつでも、やり続けていきたいです。
by elzawild (2012-03-13 22:00) 

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