SSブログ

沖縄 と バリ [spirit]

NHK大河ドラマ 「テンペスト」 が始まりましたね。再放送を見ました。
バリ島から 沖縄(琉球王国) の歴史やドラマを見ていて、新たな驚きがたくさんあります。

沖縄と、バリ島は、似すぎるくらいに似ています。

      057. シーサー?.JPG

豚をよく食べるとか、ナシ・チャンプル、そうめん・チャンプル、料理の名前が似ているとか
建物の門構えが似ている、音楽では「音階」が全く同じとか、シーサーにそっくりの彫刻が
あるとか、いろんな人が言及していますけど、そういった部分的な共通点ではなくて、

島の歴史、成り立ち、存続のありかた、気質・・・ありとあらゆる点で、まるで双子のようです。

今、バリ島の歴史をかじり始めていて、なおさら驚きます。
特に外国や国内隣国の板挟み(バリではオランダ・ジャワ、琉球では清国・薩摩)も同じです。
その板挟み状況を打開する知恵までも、本当によく似ているんです。

また、東南アジア諸国は、古くから交易がありお互いに影響し合っていたのでしょうが
現在のバリ島の「伝統文化」とされているものは意外に新しいもので、土着の原型はあったにせよ
1900年代になって国策として 「観光政策」 を打ち出し、意図的に作り上げたものであるそうで
歴史の古さ、文化の起源は沖縄のほうが先ではないのか? と思うのです。

沖縄がバリ島の影響を受けたのではなく、バリ島が、インドネシアが、 「琉球王国」 の影響を
受けたのではないか? と思うほど。(真意については今後の勉強です)

バリ島の芸能・芸術の完成度の高さと魅力は、世界に冠たるレベルだと太鼓判を押しますが
琉球王国の芸能・芸術もまた、決して負けない力を持っていると思うのです。


プルサダ VS スタソーマ [spirit]

毎朝の祈りやお供えの姿を見ていても、バリ人の信仰心の強さには頭が下がります。
でももし、私がバリ人に生まれたら、こんなにお祭りや神事の多い日常についていけるのかしら?
なんて余計なことを考えたりしました。

昨晩の絵巻物のようなお話に子供のころから触れていたら、当たり前のように神様や自然に対する
畏敬の念や振る舞いが身についていくのかもしれません。
バリ人の笑顔や優しさは、一朝一夕に培われるものではない。それは明明白白と実感します。

こんな私でさえ、絵巻物の公演を見てから一日、じわじわとしみ込んでくるものを感じています。

悪王と化したプルサダ王と、如来の生まれ変わりであるスタソーマ王との対決。
…それによって明かされる生命と大自然の神秘とは、一体何だったのでしょうか。

芸術作品としての素晴らしさに浸っているだけではなく、あのお話には伝えたい「何か」が
あったはず…と、あらためて考えて振り返ると、ラストシーンで語られていたのは「時の秘儀と知恵」
そしてスタソーマに帰依し聖者となったプルサダは 「輪廻とカルマ」 について説いて回ったとあります。

解説には、この世について 「自然の摂理」 「バランスと調和」 という言葉でまとめられています。


…あくまで個人的な見方に過ぎないけれど、悪王プルサダが如来の再誕スタソーマと対決した時の
対決の姿に、私は興味を持ちました。プルサダ王がスタソーマに仕向けるどんな武器も、清らかな
蓮華の花や清水となってプルサダに跳ね返ってきた、という下り。悪が悪を生み、恨みが恨みを生む、
という連鎖ではなく、あらゆる魔性を仏性に変えてしまう如来の姿 が描かれていると感じました。

最後に、プルサダ王の身に宿っていた魔神ルドラが如来によって目覚め、プルサダ王から離れた時、
実はルドラも、如来仏と同体であるのだ、ということを衆生に示すあたりは、聞き流してしまうくらいに
さらりと語られていましたが、そこにはもっともっと深い重大な奥義が秘められていたのでは? 


私たち人間のどんな醜い姿を見たとしても、それを清らかなものに変えていく力が私たち自身の
中にあるということ。 どんな困難でも、絶望でも、希望に変える力があるということを
プルサダ王とスタソーマ王が演じてくれたのではないかと思えてくるのです。

巨大地震や原発で、日本崩壊の危機に直面したからこそ、湧きおこる感覚なのかもしれません。


満月の夜 [spirit]

ご近所の皆さんが盛装をして、各家の神様にお祈りを捧げています。
満月の夜のお祈りだそうです。

プルメリアの木々の枝から顔を出している満月をとらえてみました。UFOみたいになっちゃったけど。

      032. 満月の夜.JPG


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。