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2013年、幕開け [spirit]

静かな、新しい年を迎えました。
快晴で、そこそこ暖かく気持ちの良い元旦です。
冬を耐え抜く一輪の花を、しばし見つめました。
今年のテーマは「試練の克服」ということになるでしょうか。
・・・。
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金色(こんじき)の便り [spirit]

冬の空に揺れる枯れ葉の一枚が、何故かこころに沁みます。

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よく見ると、枯れ木の枝先には、春の芽吹きを待つ小さな蕾がついていました。 

まるで、終わりと始まりの繋がりを知らせるように。。。


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生き様、そして言葉 [spirit]

人生の幕を閉じるとき。。。 その閉じ方は千差万別あることでしょう。
 
女優・森光子さん、歌舞伎役者・中村勘三郎さん、その故人の生涯を顧みながら
多くの人が涙し語っていたそのとき、私自身も、ある無名の女性の生涯の幕引きに
立ち会っていました。

人はこの世に生を受けるときも、また別れを告げるときも、渾身のエネルギーを
使うのだと知りました。長寿の人生でもありましたがその方は、最期の力を振り絞って
残される人々に何かを告げようとしていました。
かすかな吐息と口元の動きを、必死に読みとろうと意識を集中させたとき、
その人は「し・あ・わ・せ」と言っていたのです。 それが最期の言葉でした。
 
いろいろな時代を生きた人です。当然、苦楽悲喜交々あったでしょう。
私がその方と人生を共有したのはわずかな時間であったけれど、泣き言、恨み言、
攻撃的な言葉は一言も聞いたことがありませんでした。
そういう人間がいると聞いたことはあっても、自分自身の身近に存在していたことに、
あらためて驚きを持ったのです。 そして「言葉の重み」ということを教えていただきました。

森光子さんが、いつも周囲にいる役者たちに言葉をかけて、その一言一言が
その人にとって一番嬉しい言葉聞きたい言葉であったと言う話が 私の耳に残りました。
それは人によく思われたいと計算して出来ることではないと思いました。
周囲の人々に愛情ある関心をもって、その人たちの人生の「核」のようなもの、
何を生きる力の源にしているかを知り、理解する力が森光子さんにはあった。
もしくは女優人生の中で感性を鍛え、身につけていかれたのではないかと思いました。

言葉の重み、言葉のチカラ。 言葉は生き様。。。 人は、言葉によって生きています。
その一言が人生を支えることもあれば、逆もまたしかり。 言葉の選び方一つで
人生に二つと無いかけがえのないものを 失ってしまうことだってあるでしょう。

森光子さんが残された多くの言葉のように、私が生まれて初めて立ち会えたその方の人生と
人生の幕引きの瞬間と、その暖かい言葉に、心から、心から感謝したいと思います。


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2012-12 激動 [spirit]

公私ともに色々ありすぎて・・・言葉が出てきません。

このまま年越しでは何ですから年内に更新をしたいと思いつつ、ブログを開けてはみたけれど

一応、わたし、生きてますよ。 元気です。 ご安心ください。 ・・・取り急ぎ、お知らせでした。


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激動 [spirit]

オバマ大統領が再選され、中国の国家主席が交代し、
日本では衆議院が解散し、芸能界では92歳の大女優が逝去し、という
…どういう訳か同じタイミングで私自身の身辺も、公私ともに激変の一週間でした。

どういう星周りだったのか知りませんが、なんというか
天地逆転みたいな、心中も本当にいろいろ錯綜して、顔で笑って心で泣いて…
毎日毎日、訳もなく涙が出て止まらないようなイメージが
(あくまでもイメージですよ)続いているのです。

「音を立てるように」とか「ひと皮も、ふた皮も」みたいな、
そんな感覚で身も心も染まっています。

この嵐のような時を乗り越えたら、なにか違う景色が見えて来るのでしょうか。
それはまだ、今は想像することもできません。


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猿の論理? [spirit]

尼崎の事件で、何ゆえに家族同士が傷つけあったり出来るのか?
にフォーカスして、ある番組で有識者たちが語っていました。

飴と鞭の繰り返しで徐々に心を支配され「奴隷の幸福」を感じるようになっていく
…この「支配と服従」の罠にはまってしまうのは、決して心の弱い人間や
頭の弱い人間ではない、と。罠にはまるのが「人間」なのだそうです。

ある実験で、教師役と生徒役の二人に「問題が解けなければ罰として電流を流す」
という試みを行ったところ、「罰を与えよ」という指示に対し、電流に叫び声をあげる
生徒に対し「これ以上は出来ない」と言いつつも、電流を450ボルトまで上げた
先生役の被験者は、なんと65%になったそうです。
(ちなみに実験では電流は流れておらず、生徒役の叫びは芝居でした)

心が支配され「支配への恐怖」と「奴隷の幸福」に向かっていく構図は、
学校におきている「イジメ」、カルト教団「オーム」、赤軍派の「リンチ事件」
ヒットラーの「ゲシュタポ」、世界中で起こった「戦争」も全て共通するそうです。

閉じられた世界である「家族」や「組織」において、その中だけのルールができ
そのルールに従うことが「正しい」、「従わない悪」を罰することは「正義」
となってしまう罠が存在し、罰する側に立つと優越感や安心感まで芽生えいていくと。
。。
寄らば大樹の陰」という心理も実はその狂気をはらんでいる。…怖い話ですね。

人間と猿の違いは「知性」があるかどうかの一点だとすれば、
人間は「猿の論理」を全く超えていないに等しい、と語る人もいました。
いえ、もしかしてそれは猿に対して失礼かも知れません。
猿の世界には、人間ほどに恐ろしい、家族が殺しあうような戦争のような
「支配と服従」なんて存在しないのでは??? 

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人間ならではの「魔性」と言ってもいいかも知れません。
それは事件だけではない、日常の社会や世間にも見え隠れします。
事件と日常の中の「イジメ」をつなげて考えるのは少々飛躍にも思えますが
猿知恵」どころか、猿には思いもつかない「悪知恵」ですよね。


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菩提樹、祈り [spirit]

バリでは、菩提樹のあるところに信仰が集まり、村のお寺があちこちに建立されます。

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            そして「祈り」がささげられます。

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何をお祈りしたの? と聞くと、森や木々や草花、動物、雨風、太陽、全てのお陰で

   自分たちが存在し、幸せに生きていることに感謝を捧げるのだそうです。

日常の中で人々の心に、自然に、普通に宿っているこの気持が、この島の魂なのですね。

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金環日食、鬼のかく乱 [spirit]

5月に入って、あまりにもいろいろなことがありすぎました。

人生折り返し地点の誕生日を迎えた節目もあり、この人生に積もり積もった
雑多なものを厭がおうにも整理せざるを得ないというか・・・
これは年始から意識してきた「身辺整理の年周り」でもあるんですが。。。

2年間借りたバリ島ウブドの家も一旦契約解除したり(次は別の場所に行こうと)
その折にいろいろな事件が起きて、バリ人を相手に契約することの大変さを実感したり
帰国してスマホの「高額請求事件」というものもあって、これまたいろいろあって・・・
家族関係にもいろいろあって・・・何かが終わりを告げました。(心理的な意味で)

その後、仕事で大きなイベントを迎えて無事にクリアしたかと思えば
体力が底に落ちた時に参加した打ち上げ会が、とても空気の悪いところで
何か悪いものを体内に取り込んだらしく、ウィルス性の胃腸炎だの気管支炎だのに
かかってしまい、歩けないほど症状が重くて仕事を休み、病床から空を見上げて
金環日食」を見たのでした。これこそ「鬼のかく乱」だよなあ・・・とつぶやきながら。。。

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きっと私の人生の中でも、何かが一直線に並んで同時多発的に事件が起きて
そして、その後何かが入れ替わって新しい何かが時を刻むんだろうと思いました。

これから前向きで、プラスの流れが始まることを信じたいですね。


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幻の手帳 [spirit]

 災害、復興、政治の混迷、巨大地震の恐怖・・・
一方で新しい価値観や選択の兆し・・・春の訪れ、桜の開花。

いろいろ、いろいろ、手に余る重すぎるテーマが日々眼前に突きつけられながら
目まぐるしい日常に押し流されて、走馬灯のような景色が流れていく。。。

かといって流されっぱなしということではないんですよ。
アウトプットする余裕がないだけなんです。いろいろ走り書きはします。
子供の頃から日記帳を付けていて、大学ノートが何冊も何箱にも積み上がった。
・・・そんな思い出もあります。

なのに、なのに。今の私には「手垢にまみれたノートや手帳」がありません。
気づいたら全て姿を消してしまいました。何もかも電子ツールに
とって変わってしまったからです。便利だし、仕事環境からも必然的に。。。

かくして、私の膨大なメモ書き、走り書きは電子メモにあるのですが
どうもそれが、「手垢にまみれた記録」のようにはうまく機能しないのです。
チリジリ、バラバラの欠片のまま無機的に積っていくだけなのです。

分断された自己」を感じてしまい、悲しいのです。
単に私のメディア・リテラシーが未熟なだけなんだと思いますが・・・

同じような感覚を持つ人もたくさんいるらしく「手帳回帰」の動きもありますね。
「これが成功する人の手帳だ」みたいな。
だったら、手帳を復活させてみたら?・・・と思って何度かチャレンジしましたが
もう駄目なんです。字を書かない、キーボードを打つのが身についてしまって
字を書くことがこんなに苦痛になるなんて思ってもいませんでした。

こうなった今、如何にして電子ツールを手垢にまみれた状態に出来るか
工夫するしかないということでしょうか。そして試行錯誤は続く、続く。。。


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グレーのキャンバス [spirit]

3.11大震災から11カ月。

被災地の子供達を元気にしようとある電気会社が試みたプライベート映像撮影。
10年後の自分へのメッセージ」という企画です。先日、その取材番組を見ました。

地元の小学校に通う子供達の日常は、まさに瓦礫の通学路を歩くところから始まります。
まだ何色にも染まらない子供達の目に、脳裏に、毎日毎日焼き付けられるこの光景からは、
未来の自分を想像する余白など生まれて来ようがないと思えてきます。

だからこそ子供達の目や心を未来に向かせたいと、このような試みが行われたのでしょう。

震災がないとしても、もとより日本の教育は個人の未来像を描かせることが不得手です。
平時にあっても自分の未来を語れない、またはイメージしたことが無いために、
就職活動で自分自身を表現できないと悩む若者には日頃たくさん接して来ましたが、
東北の子供たちが直面しているこの現実はそういうこととは全く次元が違います。

心のキャンバスに色が無いのではなく、何色かに染まる前に
全面グレーに染まってしまった状態だと言ってもいいと思います。

何日も悩んだ末に、カメラの前に立ち「少しでも前に進みたい」という
今の自分の気持ち」を表現することで精一杯の子供たちもいました。
とても痛々しくて、未来に目を向けさせようという試みそのものが残酷な優しさにも
思えました。

子供たちが日常を取り戻すには何年も年数がかかると思います。
戦後の日本が焼け野原から立ち直ったことを思えば、瓦礫の通学路の光景が子供たちを
強くたくましく育てていくのかもしれません。それも一つの考え方ではあるけれど
それは、大人の心が受けとめる世界とは比較にならないほど衝撃が大きすぎます。

生活の場を、変えたくても変えられない様々な事情もあると思いますが
せめて「大人のこころ」が育つまでの間、瓦礫の通学路ではなく
草花が咲き、風がそよぎ、鳥がさえずり、家々から笑い声や食卓の湯気が薫るような
環境に、一時的にでもいいから身を置いて過ごして欲しいと思えてなりません。

生活環境を変えることで、子供たちは瓦礫の映像を「津波とともに止まってしまった時間
ではなく、「過去の記憶」として脳裏に格納することができて、そして初めて、
全面グレーのキャンバスに色彩を載せていくことができるのではないかと思うのです。


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ガネーシャ追想 [spirit]

年明け、ウブドでお世話になったロングステイ大先輩の奥様と再会しました。
彼女も今、日本に一時帰国されていて、しかも私たちと同じ東京で
意外に近くにお住まいでいらっしゃるので、不思議なご縁も感じました。

現地ではあまり聞かなかったお話に花が咲き、盛り上がり…。

ウブド暮らしも約10年となると、いろいろなことが見えてくるという。
何故ウブドを選んだのか、転居までのいきさつ、現地で家を建てた時のこと
その後の暮らしや楽しみ、冒険、悩みなど。

まだまだ現地で半年ばかりの私たちには先の実感となりそうな事柄です。

ただ、滞在時間の長さを問わず、双方が一致した実感というのは

「あちらにいると、哲学したくなる」
「ディープな観察と思考の世界に入っていく」
「日本にいると、深い思索をしなくなる」
「…というか、考える時間がなくなる」

という点でした。確かに、バリでは学問と知恵の神様ガネーシャ
いつも自分の身近にいたのです。それが日本に帰ると、ガネーシャは
ただのキャラクターになってしまうんですよ。何なんでしょうね、これ。

      ganesha.JPG

一方私も帰国して3か月たち、昨年のウブド暮らしと今の日本の生活を
語り合う中であらためて自覚したことが多々ありました。
バリ以前と相もからず忙しい日々なのだけれど、確かに以前とは違う自分が
いるということを、じわじわと感じ始めたのです。

大袈裟な言葉で言うと「絶体絶命」みたいな「これしか道はない」
みたいに「追いつめられるような漠然とした気持ち」から解放された感じなのです。

他にも違う自分がいるよ、という「余裕」みたいなものが、自分の中に
住んでいることがわかってきたんです。不思議ですよね。

この感覚、失くさないようにしたいと思いました。
私の中のガネーシャが、ただのキャラクターになってしまわないように
時々はあの生活に身を置くのがいいんだろうな、と思います。


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ドラゴン [spirit]

龍を見たことがありますか? 私は見たことがあります。
龍は何を食べるか知っていますか? 龍は「経験」を食べて成長し強くなるのです。
龍とは、私たちの中にある「人格」のことです。

      160. dragon.jpg

         ・・・なんて素敵な言葉なんでしょう!!!

福島を訪れたブータン国王の言葉に、骨の髄まで痺れました。
幸福の国」「こころの豊かさを大切にする国」と呼ばれる所以、それはその国の
宣伝戦略といった浅薄なものではないことを証明するものだと感じました。

人格」「人格形成」というものをこれほど分かりやすく印象的に伝えた言葉を私は知りません。
お金、物、家、財産、社会的ステータスに価値をおいてきた、これまでの日本のあり方を
根底から揺さぶる言葉ですね。

福島、そして東日本の過酷な体験によって、多くの人が「内なる人格」「」を
大きく強く、育てていることは間違いないと思います。

そして私も、「私の中の龍」にたくさんの経験を食べさせたいと思いました。


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ブータン国王の演説 [spirit]

先日、「国民総幸福量」についてブータン王国のことに触れたばかりでしたが
そのブータン国王が来日し、国会で演説を行ったと聞いてびっくり。

いつも実りのない不毛な議論が繰り広げられている国会議事堂が、なんか
アカデミックというか、知恵と品格ただよう別の空間になっていましたねー。

もちろん国王というのは政治家ではないし「国賓」ですから、悠々と日本古来の伝統や
歴史にもとづいて日本人の人格にふれて最高の敬意を表し、日本人の誇りを
鼓舞することが出来るのかも知れませんが。。。


政治的な論戦では「方法論」に終始せざるを得ないというか、「精神論」を持ち込む
ところではないとしても、しかし。ブータン国王のお話から「精神性の大切さ」に
あらためて気づくのです。さすが「こころの幸福」を追求する国の王様ですね。

困難を乗り越えるためには、指導者の実務能力だけでなく「心意気」とか「情熱」とか
尊敬」「信頼」「共感性」が、どれほど欠かせないものであるかということ。

「国」の問題だけでなく、地域社会とか、職場の組織でも同じだなあ、と
つくづく思うのです。
 
こころに響く」「こころに届く」そんな行動、言動を「こころ」がけたいものです。


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レキシは語る [spirit]

 

世界中で起こっていることについて、どんな視点で、どんな言葉で触れていくのか、
頭の中にたくさん渦巻いているけれど、アウトプットするのはなかなか難しいことです。

タイの洪水をはじめとする各国の地震や自然災害のこと、
新しい時代を模索するムーブメント、そして混迷する日本国内の様々な問題など。。。

そんな中、私に口火を切らせる刺激になったのは、「Japan Price 2011」。
教育コンテンツ国際コンクール・日本賞」の第38回授賞式の模様でした。

 http://www.nhk.or.jp/jp-prize/pdf/letter/japanprize_jp.pdf

グランプリ日本賞福祉教育カテゴリー最優秀賞を受賞した、アメリカの教育財団
による「アメリカを振り返る人種隔離バスへの抵抗」でした。
プレゼンターのメレディス・ニアマン氏が語った受賞の喜びの言葉が印象的でした。

「・・・歴史的事実はとかく新しいニュースにかき消されてしまいがちですが
歴史とは、単に過去を扱うものではありません。「今」という時の中で未来を形作る
ための絶好の機会です。今回の受賞が世界中の若者たちの行動を呼び覚ますものと
なることを願っています。」

このメレディス氏の言葉は、Web上では「ありきたりな言葉」に編集されて
おり、映像でしか確認できない言葉であったことが分かりました。
受け取り様によっては若者を扇動するかのような誤解を与えてはいけない、という
配慮があったのだと思いますが。たまたまその言葉をキャッチした私には確実に
届いたメッセージがありました。

今、独裁政治、環境問題、格差社会など、世の中の矛盾に対して世界中で起きている
若者を中心とするムーブメントを、わが身の問題としてとらえること。
そして「個人」が重要なカギを握る今という時代に生きて、一人一人が自分自身に
できることを考えて実行することが、いかに大きな意味を持つかということ。

「個人」は決して「無力」ではない ということ、です。


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バリ Before & After [spirit]

仕事の合間に、ぼちぼち友人や仕事仲間と再会する機会ができて来ました。
「バリに暮らしてみて、何か変化はありますか?」… といった質問を受けることが
あるのですが、なかなか、この問いには上手くひとことで答えることができません[ふらふら]

色々なことが「生煮え[いい気分(温泉)]」な感じだからなのかも知れません。

旅行の場合は「あれも見た[目]、これも見た[目]」という話になるのだと思いますが…。
ロングステイで見聞きしたこと、体験をそのまま伝えることはできても、その「意味」や
「自分自身の中で何が起きたか」を客観的に理解するには、もう少し時間が必要という感じがあります。

あえて言うなら「たくさんの仮説[ひらめき]が生まれた」という感じなのかもしれません。
そのたくさんの仮説を、次の滞在で検証したいような欲求があるんですよね。(なんか大袈裟ですけど)

体験の意味づけ」はさておき、何を見たか体験したかについては、ほぼ毎日ブログに残せたかな
と思いますので、このブログの中で読者の方に追体験をしていただけると嬉しいです。
久しぶりに読んでくださる方は、興味のある分野をまとめて読める「カテゴリー」から入ってみてください。

そして今、日本に一時帰国して、あらたな仮説[ひらめき]がいろいろ頭に浮かんできました。
Japanバージョンも、テーマ満載になりそうですよ。 


          [るんるん]皆様。。。 いつも、ご訪問ありがとうございます[るんるん]


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ゴアガジャの奥深く [spirit]

 ゴアガジャの御神木の奥に、もう一つ入口があってさらに谷間深く降りていく階段があります。

  100. 谷間の階段1.JPG  100. 谷間の階段2.JPG

             いくつもの階段の先には、神様が祭られている祠があります。

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          101. 祭壇1.JPG

          101. 祭壇2.JPG

      祭壇の前のお供え物。 バリ人が 「どうぞ、あなたも手を合わせてください」 と

      しきりに勧めるので、ご挨拶程度に手を合わせて、ペコリと頭を下げてきました。


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怪談 [spirit]

残暑きびしき折。日本は昔から、熱い夏の夜を 「怪談話」 で涼をとっていたんですよね。

NHKで放映された 「日本怪談物語」 の再放送に思わず聞き入ってしまいました。
王宮の葬儀の話から「怪談話」では話の流れが出来すぎな気もしますが、これも自然の流れです。

お寺の中で暗闇に蝋燭をともし、赤や青の怪しげな照明を使うなどの演出も手伝って効果満点。
和装のベテラン女優俳優(黒木瞳、近藤正臣ほか)が、江戸時代の怪談話を次々語っていきます。

その話の多くは人情沙汰で、この世に思いを残したままあの世に行ってしまった人々が
生前の愛する人、憎しみの相手の前に姿を現し、その思いのたけを語っていくというものです。
お馴染みの 「四谷怪談」 「牡丹灯籠」 に始まり、遊郭や身分制度を背景とした愛憎劇などが
間断なく続くのですが、飽きることなく聞き入り、その語りの世界に引き込まれました。

外国の地にいながら見聞きする日本の怪談話というのも、なかなか風情があります。
日本の「家族への情」「良心」「恐れ」「恥」「情け」「悔い」「弔い」「畏敬」「因果応報」…
そういったもの、日本の記憶が心の奥からふつふつと呼び起される感覚があるんですよ。

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先日の「王宮の葬儀」でバリ人の「生と死」「あの世とこの世」について考えたばかりです。
バリ人の葬儀には 「魂の解放」 を喜ぶ明るさのようなものがありました。葬儀は悲しい別れではなく
実に「さばさばしている」とでも言いましょうか。現生の閉幕を飾る人生最大の楽しい儀式。
亡き人とは、いつでもまた会える。 「じゃあ、またね」 とでも言うような。。。
あれだけ大勢の人々に見守られて旅立つ死者の魂も、晴れがましいものとして目に映ります。

オール原色フルカラー・ビジョンのバリの葬儀と、 「黒一色」 の日本の葬儀、 「灰色」 の怪談話。
そこから連想すると、日本人の「死」には現生への執着による憂いのようなものがなんとなく、
…見えてくる気がします。


タグ:怪談 葬儀
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プリサレン 続編 [spirit]

      プリサレン王宮の葬儀、続編です。 夫の撮影画像を載せてみました。

      葬儀に参加する親族や関係者が、お清めの聖水をもらう様子です。

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              王宮の中の ガムラン演奏。

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              いよいよ、御輿が動き出しました。

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  この葬儀で荼毘に付される御母堂様の遺影。 写真を抱いているのは召使だそうです。

  085. 少女.jpg 085. 少年.jpg

  亡くなられた御母堂様の曾孫さんたちでしょうか。 御輿で担がれて一緒に行進します。

  火葬場までの写真は残念ながら収められませんでしたが、荘厳な儀式を見ることができました。


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プリサレン王宮の葬儀 [spirit]

昨日の独立記念日当日、快晴に恵まれたため今度は歩きで中心街まででかけてみました。
モンキーフォレストを抜けて、BISMA通り経由、ラヤウブド、プリサレンを見て、
モンキーフォレスト通りを通過する、というルート。途中昼食をとり計4時間の徒歩コースです。

街の様子は、紅白の国旗がはためく以外には、これといってセレモニーをやっている感じはなく
むしろ、翌日の 「プリサレン王宮の葬儀」 の準備で、街中、頭がいっぱいという印象を受けました。

写真は昨日のプリサレン王宮前のものです。大きな棺の御輿が、準備の最終段階を迎えていました。
葬儀を行うために、これだけの高さの棺を運ぶので、メイン通りの木々も電線も、邪魔になるものは
切り落としてしまうそうで、実際その場面も目撃しました。本番中は停電になるという話も。

2-3年前にも 「今世紀最大にして最後」 と言われた王宮の葬儀が行われたそうですが、今回は
それに次ぐ規模の盛大な葬儀になるとのこと。ギャ二アール県の県知事の御母堂様がご逝去された
そうで、王族の葬儀がとりおこなわれることになったということです。


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  084. 王宮の棺3.JPG 084. 王宮の棺2.JPG

  084. 王宮の棺5.JPG 084. 王宮の棺4.JPG

王宮の葬儀には、同時期に亡くなられた人々のご遺体も 便乗して荼毘に ふされるとのこと、
それまで墓の中で眠っていたご遺体を、わざわざ掘り起こして運んで来るのだそうです。
これだけ盛大な葬儀ですから大変な費用もかかるはずです。でもそこに、貧しい一般の庶民でも
一緒に 併葬できる風習 というものに、ヒンドゥーの優しさを感じますね。

ヒンドゥーでは、亡くなられた人は 火葬によって初めて肉体から解放されて自由になり、 生まれ
変われると信じられているそうです。お墓とは火葬の機会を待つための仮の寝床のようなもので
日本のような墓地は存在しません。中には火葬の時を、何年もお墓の中で待っているご遺体も
あるそうです。晴れて火葬されたのちは、PURA(ヒンドゥーのお寺)で供養されます。

今日はその当日。巨大な棺の御輿はプリサレン王宮を昼前に出発して、メイン通りを約1時間練り歩き
火葬場に向かいます。火葬場でこの見事な棺とともにご遺体も、煙となって天に召されていきます。

これこそは見なければと思うのですが、大変な人だかりで歩けないし見えない、毎年倒れる人も出る
ということを聞いて、写真撮影は夫に任せて、後で見せてもらうことにしました。

ちなみに、2008年に同じくウブドで行われた「今世紀最大の王宮の葬儀」の様子を紹介している
ブログを見つけました。素晴らしい写真が掲載されています。ご参考まで。      http://www.tomorrowearth.com/2008/07/ngaben.html


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不思議な夢 [spirit]

インドネシア語レッスンは2ヶ月目で10回ほどクリアしたでしょうか。
まだまだ「話す」レベルにはいきません。多少の単語が分かるようになった程度。

でも家では100パーセント日本語生活。日本語で話し、NHKしか見ない暮らしでは
進歩がありません。で、最近はローカルテレビ放送を視聴して、インドネシア語を
聞き流すだけでも少しでも触れる時間を増やすようにしました。

そしてテレビ画面を見ていると、いつも見慣れているバリヒンドゥーの風景、バリの人たちが
出てきません。ほとんどイスラムの衣装と、姿であることに気がつきました。
・・・そうか。 ここはインドネシアなんだ。 イスラムの国 だったんだ、と。。。

ここで初めて、インドネシアの中にあってインドネシアとは異なる文化を持つ島に
住んでいるのだと気づかされました。沖縄の人が日本のテレビを見て、大部分は沖縄とは
違う日本を見ている感覚に似ているのかも知れません。

      063. Batik.JPG

ある朝、目覚めて鏡を見たら不可解な模様のような傷が、顔中に広がっていました。
最初はそれを気持ち悪いと思い、恐れおののくのですが、次第に慣れていき、それが自分の
顔だと思うようになっていく。 ・・・・・ という夢を見ました。

なんでこんな夢を? と思いましたが、すぐに連想がつきました。
この2カ月間、異文化の中に暮らして、 多様な宗教と民族の融合の歴史 に触れてきたこと。
その刺激意外に考えられないと思いました。

インドネシア人は、とりわけバリ人は、生れた時から 異教の人々 に囲まれて生きることの
知恵を大人たちから授かり成長し、共存の社会を受け入れていくのです。
いかに無用な争いをせずに、互いを尊重しつつ、自身もその精神や生活を侵されないように
生きていくか。 その生き方が 「バリ人独特のしなやかさ」 につながっていくのですね。


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